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74回目の終戦記念日に [人間考]

今日は終戦記念日です。
敗戦が確定した屈辱の日でもあります。しかし生き残った人たちの多くがほっとした日です。私はまだ生まれていませんでしたが、親や祖母、親戚の人たちの様子からそれは明らかに伝わってきました。

負けるはずがないと思い、思わされ、ズルズルと窮地に追い込まれていた現実が、まるで悪夢から覚めるかのように一変した日です。

そんな明るい陽がさした日の前夜から未明にかけて、熊谷市は空襲を受けました。日本がもう戦えない、戦わないことは明らかになっていた時点で、アメリカは市民の頭上に焼夷弾を降らせました。

いまさら恨み言を言っても仕方がないかもしれませんが、原爆の投下も含め、市民の大量の、しかも余分な殺傷ですから、その非を糾弾しないわけにはいきません。

昨年は市の有志が毎年行っている平和の鐘を鳴らす行事に参加しました。そして記事にしました。
https://mo-mo-taro.blog.so-net.ne.jp/2018-08-15

今年は台風が西日本に接近し、それが超大型で、関東地方も昨日から時折大雨が降るなど影響が出ています。今日はさらに荒れた天気になるでしょうから、正午にそれが行われるかどうか、また、参加できるかどうかわかりません。そこで、今年はそれを待たずに記事を書いています。

先日、戦争が個人にもたらす悲劇を改めて思い起こさせてくれる文章に出会いました。今日はそれを紹介させていただきます。風船かずらさんのブログで拝読しました。
https://aoisora-ni.blog.so-net.ne.jp/2019-05-31

知人の方たちが書かれた文集から書き起こしてくださったようです。ご一読をお勧めします。また、戦争の悲惨さを知らない一人でも多くの方の目に触れますよう、拡散の程を宜しくお願い致します。

本日は以上をまずは投稿します。

11時半過ぎ、友人と行ってきました、中央公園の平和の鐘の下に。

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今年も集っていました、雨中。
反対側から
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正午に黙祷
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鐘の音が響き
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熊谷市非核平和都市宣言が朗読されました。
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熊谷市非核平和都市宣言

世界の恒久平和は、私たち人類共通の願いです。
しかし、世界では今もなお地域紛争やテロリズムなどにより、人間の生命や尊厳を踏みにじる行為が繰り返されるなか、核兵器の存在や核実験の実施は、世界の平和と人類の生存に深刻な不安と脅威をもたらしています。
特に、わが国が世界唯一の核被爆国であるという歴史的事実を厳しく受け止め、非核三原則を掲げ、核兵器廃絶を全世界に訴え続け、このかけがえのない美しい地球と、これまで人類が築きあげた偉大な遺産を後世へ引き継がなければなりません。
私たち熊谷市民は、県内唯一の戦災指定都市の住民として、戦争の惨禍を二度と繰り返すことのない社会と人類の恒久平和を一日も早く実現するために、世界平和を願うすべての国の人々と手を携えることを誓い、ここに熊谷市を「非核平和都市」とすることを宣言します。
平成18年7月1日 熊谷市

拍手をして散会
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雨にもめげない74回目の終戦の日の集いでした。


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長崎平和宣言 [人間考]

今日は8月9日。長崎が被曝した日です。

田上富久長崎市長が訴えました。

【 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意 志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、 私たち一人ひとりの心の中で す】とご自分の言葉で、切々と。

そして、
【 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和 をつくる大切な第一歩です。
国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねること は、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。

人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心 に平和の種を植えることになります。

平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地 道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。 それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の 責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非 核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を 始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理 念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。 】

以上は長崎平和宣言より抜粋したものです。全文は下記にあります。

http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/
3020300/p033237_d/fil/japanese.pdf

一方アベさん、日本がなぜ核兵器禁止条約に賛同しないか、例によって屁理屈を並べていましたね。こちらは抜粋する気にもなりません。

本日は以上です。


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闇営業問題・三面記事から一面に [人間考]

また三面記事を書いちゃいます。
その前に、一昨日は当地夏祭りの最終日でした。昼間時おり降っていた雨も夕方になると止み、多少蒸してはいましたが、いつになく凌ぎやすい祭の夜でした。
後で写真を何枚か載せます。

さて、三面記事です、吉本興業の問題。
反社会的勢力との繋がり、闇営業問題が発端ですね。詐欺や強奪を働く集団の集まりに参加して金銭をもらった芸人が何人もいた。
とんでもないことです。
知らないならまだしも、そうとわかった以上は即刻被害者への弁済に供されなければなりません。

単純な話ですが、そういう芸人が所属する興業会社の人事管理が不適切だったため問題が複雑化した。まず、当該芸人がテレビで会見をし、会社側の仕打ちを訴えた。

会社側も社長がテレビで会見し、経緯を説明した。双方の主張が余りにも噛み合わないため記者たちの質疑が続き、会見は5時間を超えた。

双方とも、いい歳をした大人が涙を流して訴えていて、みっともないことこの上なかった。

見えてきたのは、芸能プロダクションと芸能人との間の不条理な関係です。反社会的な組織との関わりもさることながら、この点も負けず劣らず由々しき問題として浮かび上がってきました。

どうやらそういうことのようです。
聞くところによると、6000人(確かなことは不明です)も芸能人やそれを目指す人を抱える吉本興業は、何か問題が発覚すると「契約を解除する」とか言う割には、ロクな雇用契約書も交わさず、待遇も不明瞭なまま、所属する人たちを仕事に割り振っていたようです。

なぜこのような前近代的な人間関係の会社が存在していたのかということを考えると、テレビの存在が大きく浮かび上がってきます。

テレビに出て活躍するということが、余りにも人の一生にとって大きな出来事なのですね。出ないままで終わる人と、何度も何度も出て、同時代の人によく認知される人との差の大きさが、この不条理を生み出す元になっていることがわかります。

テレビに出る人は一握りです。また出る回数が多いほど有名になり、有名人ほどテレビ局も出しやすくなります。この狭き門を巡っての競争心が、ヤクザまがいの興業会社を存在させる元になっていると見てとることができます。

当たりの宝くじをたくさん持っている販売所みたいなものですね、吉本は。だから大勢がおとなしく言われるままに並んでいる。

なぜ当たりくじをたくさん持っているかといえば、有名人をたくさん抱えているからです。玉をたくさん持っているからテレビ局と渡り合える。

一つ二つ玉が生意気なことを言うようなら、外に弾き飛ばしてしまえばいいのです。玉の予備軍はいくらでもいる。

こういう状況で、テレビを通じて世間と密接な関係を持つ人たちが多く所属する組織が、実は呆れるほどブラックだったというわけです。そのことが、この度はからずも発覚しました。

社会の片隅で、人知れずまじめに一生懸命生きることに大いなる価値があります。しかし、他人より目立って生きたい欲求もあります。

後者に目を向けて目立つ方法を考えてみると、芸能の他にはスポーツや芸術などがあります。スポーツは大抵は実力勝負ですから、あまり理不尽な問題は起こりません。しかし、各界を牛耳るような人物がたまには出てきます。

目立って生きる道として思いつく大どころに、政界というのがあります。与党政治家となれば名は売れ、権力も手にします。国会に出、テレビにも出ます。

そうなる道筋は、よくわかりません。親が政治家だとなりやすいようですが、そうでない場合は・・・取り敢えずの窓口は与党ジミン党です。
吉本と同じような構図が生まれてきませんか。

組織の、特にトップの意向が強く反映されるでしょう。法案の採決に限らず、党の方針に異論を挟むことなどできないでしょう。

政治家は本来選挙民の代表ですから、党の意向よりも選挙民の意向にそうべきですが、そんな自由などないでしょう。党が右と言えば右、左と言えば左。極端な話、戦争といえば戦争なのです。

親分が「オレの任期中に自衛隊を憲法に載せる」と言えば「へい、承知しました」なのです。個人の思想信条の自由さえ、気の毒なことにないのです。それでも著名人として生きれば以ってよしなのです、この人たちは。

「国会で自由に議論しましょう」などと言ってますが、誰が自由に意見を述べるものか、親分に右へならえするだけです。

野党は違いますよ、その党なりの考えを述べるでしょう。ですが、互いに平行線で噛み合わず、最後はいつもの強行採決、数の力で決定です。

そんな世界を見せつけてますよね。どうせ有名になって名を残したいなら、ブラックではなく、良いことで名を残したらいかがなものでしょう。

などと、吉本とジミン党が重なって見えてしまいました。実際、両者はかなり関係が深いんですよね、どうもそうらしい。体質が似ているからでしょうか?


おまけの写真はお祭りの最後。22日の10時過ぎです。

お祭りは22日の夜8時頃お祭り広場にすべての山車が集結して叩き合いを行い、一時中断して関係者の挨拶などがあり終了となります。人がごった返すので、近寄りませんでした。
その後山車は哀愁を帯びたお囃子と共に各町内に帰り、山車小屋に納まります。
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ご苦労様でした!

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笛の人たちも吹き納め!

零時から還御祭があり、お祭り広場周辺は再び賑わいますが、一度見物に行ったことがあるだけです。
以上、後日、後付けしました。



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現代の病か モラル格差! [人間考]

新年度は高学年のお勉強のお手伝いを仰せつかりました。公共機関なので、生々しいことはSNSのネタにできないのですが、漠然とした感想ならば問題はないでしょう。

人権作文というのを書かせていますよね、学校では。そのテーマとして「情報化社会と人権」を挙げ、 スマホやパソコンから起こる様々な問題を取り上げたビデオ鑑賞をしました。それを見て感じ考えたことを書いてもらおうという意図のようです。

約1時間、共に映像を見ていて改めて思いました。今の子は凄い時代に生まれちゃったなと。

何が凄いかって、まずは便利さです。ほとんど誰もが電話という通信手段を携帯して行動する時代です。知っているもの同士なら、どちらかが都合の悪い時以外は、いつでもコミュニケーションがとれるのです。肉声でも、文字メッセージでも。こんなことはかつてあり得なかったことです。

知人同士で交信がとれるばかりか、全世界に向けて、言葉でも画像でも、動画でもリアルタイムで発信できるのです。オドロキモモノキサンショノキ(まあ古臭い語呂合わせ!)です。

発信ツールを持っていないとできませんが、持つことは特権階級に限ったことではありません。私もそういう時代に生きて、今まさにそれをやっている一人ですが、自分が生きている間に、そういうことが可能になった、つまり、それ以前を知っている世代です。

ところが今育っている子たちは、それが当たり前になっている時代に誕生した世代です。幼少期からこうしたツールに上手に付き合っていかなければならない人たちです。

まず便利さを挙げましたが、不便さ恐さも同居しています。家族や友人など仲間内で容易に情報を共有することができる反面、それが一旦その枠外に流失すると、止めどなく広がり、すぐに回収不可能となるのです。

個人情報が、身近な出来事が、ここだけの話が、薄皮一枚で世界中と繋がっているのです。他の人が関心を持たなければ拡散することはまずないのですが、そこにこの便利さを悪用しようと狙っている不特定多数の悪意があるのです。

ツールは便利ですが、悪用もできてしまうのです。

児童生徒は、自他の人権を尊重し、侵さないよう、また侵されないよう配慮することを学び、大多数はそのように成長するのですが、それを取り巻く社会は、他人の人権など一顧だにせず、個人の情報を、財産を、名誉を、人生そのものを奪い盗ろうとする悪意が少なからず存在するのです。

格差社会とよく言われますが、経済格差ばかりでなく、このモラル格差の大きさも驚くばかりです。オンラインで利便を図ろうとするシステムはハッカーが、金持ちは詐欺師が、スキャンダルは妬みに満ちた人が・・・鵜の目鷹の目で狙っているのです。

そういう社会なんですね、今は。様々な、というか、両極端のモラルの人が、この便利さを活用しようとしています。

子どもたちに人権を考えてもらうことはもちろん大事なことですが、このモラル格差については、大人が真剣に考える必要がありますね。テロもそうです。オレオレ・振り込み・アポ電などの詐欺集団もしかり。煽り運転や自動車暴走犯もしかり。

麻薬や密輸、恐喝などの悪事を働く集団は、かつては暴力団としてくくれ、取り締まれましたが、今は、その枠外に、他人の人生をまったく顧みない人たちがたくさんいます。現代の病としてしっかり認識し、対応を考える必要がありますよね。

そんなことを痛感した次第です。

少し表現が足りていなかったようなので、付け足します。

文明の利器はたいてい諸刃の剣、人類に幸福をもたらすと同時に、不幸をもたらす使い方もできてしまいます。

情報伝達機器もそうです。通常は、被害に遭わないようにとか、意図せず加害者になってしまわないようにとかの心得を伝え合います。
これ、善人が前提です。

ところがかなりの割合で悪意を持つ人が潜んでいるのですよね。
この悪意を警察の取り締まりに任せておくだけではダメなのではないか、世の中全体で対処する必要があるのではないかというのが今回のテーマでした。

他人を不幸にすることがどのくらい罪なことなのか、人類の一員としての基本ですね、これを教える、言い続けることの大切さを感じました。

正に人権作文や道徳授業でやっているではないかとも思われますが、どうも、善人がより慎ましく生きることの方に重点が行ってしまっているような気がします。

人を不幸にすることはダメなんだという単純なことをまずはしっかり押さえたいものです。

それから経済格差や諸々の不平等など、悪意を生み出す原因が少なからず社会の側にもあるわけです。ですから、それらを減らす努力もしていかなければなりません。

悪人、悪意を減らす努力を積極的にやっていかないで、ただ便利なものを開発し続け、被害に遭わない心得を伝授し合っても、人類は幸せになれないのではないか、果たしてこの子たちは幸せに生きることができるのだろうか?
そんなことを感じたのでした。


以下おまけの写真、今日はモッコウバラ(木香バラ)です。

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チューリップとのコラボ
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以上です。ありがとうございました。


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人類の未来? [人間考]

さて、地球の未来です。

「地球の未来」以前にこの国の未来が心配です。差し当たって近い未来、すぐそこの統一地方選と参議院議員選挙。
でもそこに話題が行っちゃうといつもと変わらなくなっちゃいますからね、ここは頑張って地球の未来に想いを馳せます。

まず地球の未来ですが、惑星としての地球の未来については、専門の科学者にお任せします。彗星の衝突でもない限りは、多分、相当しばらくの間、安定してほぼこの位置で太陽の周りを回っているのでしょうね。

グローバルウォーミングやオゾン層の破壊が進行しているようですから、生命にとっての環境は変わりつつあるのかもしれません。それによってこの惑星の表面の様子は変化してしまうかもしれませんが、地球という惑星の存在に変化はないでしょう。

想いを馳せるとしたら、人類の未来でしょうか。
まず、第三次世界大戦が起きて、大国が核兵器を載せたミサイルを撃ち合ったらどうなるか?

人類はこれでお仕舞いでしょうか?
この大戦で命を失う人は、世も末、人類滅亡と思うでしょう。しかし地球全部が核汚染されるわけではありませんから、生き残る人はいましょう。

日本はどうか、私たちはどうかと想うに、日本が中立・平和主義で戦争をしない国を貫けば被爆を免れるかもしれませんが、今のアベ政治のように日米同盟を強化し戦争のできる国づくりを進めていると、あちこちから核ミサイルが飛んできてしまうでしょう。

領土は狭いし、地下壕とか対策もほとんどしていませんから、逃げ場がありません。地獄絵です。私たちの多くは、世も末、人類滅亡と知覚しつつ、命を失うでしょう。

比較的ダメージが少なく生き残る地域もありましょうが、文明生活の維持は不可能です。核汚染のために生命や健康の維持も難しくなるでしょう。奇形や奇病が多発するでしょう。

その後の地球は、生き残った人がダメージの少ない地域で細々と人類の営みを続けることになるわけですが、生き残った人たちが、ダメージの少ない場所をめぐってさらに争い・殺し合いを続けるのか、貴重な生き残りとして助け合って復興を目指すのかは、生き残った人たちの心理次第です。

荒廃した地球で、緑や他の生き物と共に復活を目指そうと協調し合うのでしょうかねぇ、それとも、棲みにくくなった生活環境の中で、弱肉強食の覇権争いを繰り広げるのでしょうか、生き残った人たちは?

人類は類似の体験を二度行っています。人類といってもヨーロッパの人たちですが、第一次大戦と第二次大戦です。日本は一度ですが核被爆体験は日本のみです。

人類は何度体験しても同じことを繰り返すのでしょうか。それとも経験することにより懲りるのでしょうか。科学技術の発達により、兵器の殺傷能力は増すばかりです。戦争の悲惨さが経験値を超えることは明らかです。そうした理性は働くのでしょうか?

過去の体験や未来の予測で、自己を制御できるのか否かに人類の未来はかかっています。

ミレニアムを迎えようとしている頃は、ノストラダムスの大予言なるものもあり、悲観的な風潮がありました。でも私は、人類が問題点を認識すれば、きっと愛と理性がそれを克服するだろうと思っていました。

ところが、21世紀の初っ端、アメリカで同時多発テロが起きました。アメリカは闇雲に報復に走りました。アフガン侵攻、イラク侵攻・・・その後も紛争は絶えません。

さらにアメリカは、自分ファースト、自国ファーストを唱えるトランプが大統領になりました。ロシアも中国も当然のように自国第一主義です。日本はアメリカべったりで、自分・自党ファーストの独裁政治を目指しています。

自分や自国第一主義が克服できるかどうかに人類の未来はかかっているというのに、ですよ。

こんな考えに人類の明るい未来はないのですが、今はその方向です。殺戮兵器だけは確実に進化してますが、それを操る人はまったく愚かです。むしろ退化しています。


どんな未来像が好いか、一人一人が心に決め、それを声を大にして訴え、愚かな指導者があれば諌め、封じ込めていかないと、人類の悲劇、迷走は拡大し、延々と続くことになるでしょう。


以上、鬼も笑う未来に想いを馳せてみました。皆さまのご意見ご感想もお聞かせください。お待ちしております。

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ノーベル平和賞で“I can”訴える [人間考]

 <ノーベル平和賞>サーロー節子さん「核廃絶の始まりに」
 記念講演でサーロー節子さんが世界中に訴えたのですね、被曝の恐ろしさを!

 一方、日本政府はスガ官房長官が、ヌメッとまたなんか言ったらしい

 朝日新聞デジタルによると
【 国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)のノーベル平和賞授賞について、菅義偉官房長官は11日午前の記者会見で「日本政府のアプローチとは異なるが、核廃絶というゴールは共有している。国際社会の核軍縮、不拡散に向けた認識や機運が高まることは喜ばしい」と述べた。】のだそうですよ。

 日本という国は、こんな世渡りをしていると、本当に世界からバカにされます、軽蔑されます。
 核廃絶というゴールに近づくためには、その残酷さを、その非人間性を世界中に訴えて、世界世論を作っていくしかないじゃありませんか。そうして使えなくし、使えないものを持っていても仕方がないということを核保有国にわからせて放棄させる、この道しかありませんよ。

 その道にまっすぐ向かうには、「Yes, I can.」を広めることですよ。その先頭を切るのに一番ふさわしい国が、そしてそれを最もやるべき立場にある国が日本じゃありませんか。世界史の流れを、人類の歩みを見ていると、どう見てもそうですよ、明るい未来につながる理性的な方向は。
 それを日本という国は、核の傘に入っているからそういう立場は採れないと、とぼけて横っちょを向いてしまっている。核の傘の有効性を自ら認めているようでは、核廃絶なんか達成できっこありません。「ゴールは共有している」などとコウモリみたいなことは言わない方がいいですよ。恥の上塗りです!

 どうしちゃったのですかね、日本人、日本政府!
 この政治家の無能さ、悪辣さは、改めて問題にしないといけませんね。
 政治家を目指す人が我欲の強い人に偏り過ぎている、庶民の多くが権力者を無頓着に礼賛し過ぎる、官僚などお取り巻きが出世や保身のために忖度し過ぎる、マスメディアも、権力と視聴者に迎合し過ぎる・・・
 この辺をもっともっと問題視して、反省・改善していかないといけませんね!


 さてさて私ごとです。書きそびれましたが、9日土曜は、冷蔵庫や何やら重い物の移動とそれに伴う片付け事があって、力仕事に明け暮れました。だから何かというと、今日は大いに身体を動かしたと思ったら、スマホの歩行計が2千8百歩しか行っていないでがっかりしました。平均を8千歩ぐらいにしたいので、おやまあと思った次第です。
 一昨日の日曜日、「熊谷空襲を忘れない市民の会」の定例会に賛同者として1時間ほど飛入り参加しました。
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 ここは、執行部の打ち合わせ会という感じ、少数精鋭です。
 でも会長さんが、こんなシホンケーキを作って待っていてくださるので、ご都合のつく方は参加してみるといいんじゃないでしょうか・・・
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 その日曜日がやはり何かと忙しく、5千7百歩、昨日が8千9百歩でした。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。

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他人の身になれる人となれない人 [人間考]


 人にはできることとできないことがあります。人類は同類ということで、それがみな同じならば解りやすくていいのですが、ところがこれがかなり違うのが実情です。

 たとえば、いま話題になっている、自殺願望のある人を9人も死なせた、あるいは殺したなどという行いは、私に限らず多くの人ができないでしょう。また、サービスエリアで停め方を注意されたことを逆恨みして、高速道路の追い越し車線に車を停めさせ、相手を車外に引きずり出すなどということも、できない人が多いのではないでしょうか。いじめが高じてリンチ殺人などという事件もときどき報じられます。

 関東大震災の直後、朝鮮人が井戸に毒を入れたという噂が流れ、朝鮮人を捕えて、あるいは移送中の朝鮮人に対して、暴行を加え死なせてしまった事件が各地で起きましたが、こういう行為も、できる人とできない人がいると思われます。
 なべて他人に対する残忍な行為は、できてしまう人とできない人がいます。

 できる人とできない人では何が違うのでしょうか?
 脳の一部部位に構造上の差があるのか、単なる発達差による機能上の差だけなのか詳しいことは分かりませんが、できない人は想像力があり、できる人は想像力が欠けていると思われます。

 何の想像力かというと、他人の身になってものを感じ考えることができるかどうかという点です。普通の人は、それができます。いわゆる共感ということです。直接自分に関係ない人のことでも、その人の努力が報われ優勝したとか聞くと、嬉しくなります。嬉しいだろうなあ、喜んでいるだろうなあと想像するとこちらも嬉しくなるのです。

 悲しいことや悔しいこともそうです。その人の身になってその思いを想像したり、共有したりすることができます。そういうことができるように、人間というのはできているのではないでしょうか。他人の身になることができると、他人に惨いことをすることができなくなります。自分がそんな仕打ちを受けるようなことがあったら堪らないと思うからです。

 一方で、他人の身になれないという人もかなりの割合でいるようです。自分は決定的に自分であって、他人は決定的に他人なのです。他人の苦しみはあくまでもその人の苦しみであって、自分は痛くも痒くもないのです。いわばザマアミロの感覚なのです。

 こういう人は、他人を苦しめることが平気で出来てしまいます。化学兵器を作り出すために、ためらいもなく人体実験をしてしまいます。何百万人も処刑して、その民族を滅ぼそうとすることなどもできてしまいます。腹が立てば相手を死なせることも何でもないのです。自分以外の人間の命が一つ消えるだけのことなのですから。

 人間の様々な面の多様性については、たいていのことが正規分布、つまり平均的な人の割合が一番高く、二方向への変わり方が大きくなるほど割合が低くなるような分布を示す傾向があるように思えます。しかし、この共感性については、有るか無いかで極端に違うため、二分できそうな気がします。しかし程度の差というのはやはりあるでしょうから、分布曲線を描くと二山できるのではないかと思えるのです。

 つまり他人をためらい少なく攻撃できる人と、そんなことはできない人とが混在しているのが人の世ではないかと思うのです。
 この人間性の違いはたいへん大きな差になって現れます。前者は自分の感性が中心のため、感性が合わない他人を敵と見ます。国ならば簡単に敵国と見ます。敵に負けたら滅ぼされますから、負けないように準備します。また負けないためには先制攻撃も辞しません。

 一方、後者は、他人や他国を攻めることなどする気はありませんから、闘うのは正当防衛のときのみです。これだけ違う人が同じ国を営んでいます。割合からいくと、後者の方が多いので、戦争にはなりにくいのですが、ひとたび前者が主導権を握ると、社会はとんでもないことになります。

 なぜなら前者は他人の痛みに想いを馳せない人たちなのです。他人の痛みが分かって他人を攻撃したくない人を容赦なく巻き込んで、敵国も自国もなく他人を攻撃し始めるのです。

 これが戦争・戦時体制です。かつての戦争もそういう面がありました。他人の身になれない人たちに、国の、社会の主導権を握らせてはいけません。

 どこの国にも、他人の痛みが分かる普通の人がたくさん住んでいるのです。旅行に行ってみればわかります。テレビカメラが入ればすぐにわかります。いまはそういう時代です。何だかわからない恐ろしい民族と、食うか食われるかで戦う時代ではありません。他人を他国を鬼畜のように思っている人に騙されてはいけません。

 最近の事件や政治の動きから、そんなことを思ったのでした。本日は文字ばかりで失礼しました。

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政治を政党間の権力争いに終わらせてはいけない! [人間考]


 「熱いぞ熊谷」ですからね、当地は暑いのです。暑い夏を過ごして、あと51年も生きられる体力があるのか?って思いますが、それなりの秘訣があります。盛夏はTシャツ一枚で過ごします。汗をかいて扇風機に当たっていると、それほどダメージは受けません。ワイシャツや背広を着たりしなければならないときは大変です。なるべく汗をかきたくないから、動作はのろくなり、立ち話は早めに片付けたくなります。
 最近はクールビズですから、まして後半戦に入っていますから、Tシャツでほぼ失敬しちゃっています。

 問題は夜なんです。夕方の気温が28℃くらいあると、周りの集合住宅が一斉にエアコンを点けますから、その排熱で外気温が30℃以上になってしまいます。そうなると窓を開けて壁掛け扇を回し放しで寝るのも辛くなります。そんな日は、枕を持ってうろうろ、家人のエアコン部屋に潜入したりします。

 夏の暑さの凌ぎ方は心得たものですが、暑気あたりではなくて、食あたりがたまにあります。家人の一人が仕事の休みを利用して、新潟から山形の海岸に出かけます。そこで岩牡蠣とかサザエとかの海産物を発泡スチロールに詰めて買ってきます。おとといの晩は、岩牡蠣とサザエの網焼きを、ゆうべはサザエの網焼きのみを食べたのです。以前あたって七転八倒したことがあって、警戒はしているのですが、つい身のしまった牡蠣の食感と甘い味を思い出すと誘惑に負けて食べてしまいます。

 昨日は平気だったので、安心していたら、今日は朝からトイレ通いになりました。昼も食欲なし、夜もなし、ポカリスエットなど水分補給のみで今に至りました。家人にうつす恐れもあり、ほぼ一日、サマーペットで寝てました。そんなわけで気力充実というわけではないのですが、昨日も更新していないので、今日こそは少しでもとパソコンに向かっています。

 一昨日の記事で、六十を過ぎたら、人生の後半戦を、生まれ変わったつもりで新鮮に生きてみるのはどうだろうと、暢気なことを書きました。そうしたところ、SUN FIRST さんから切実なコメントをいただきました。
【 いま自分は認知症となった母の介護に明け暮れています。
何も言うことができません。
大分福岡目を覆っています。
何も言うことができません。
明日が来てほしくありませんが?
わたくし・・・。  】

 ずしんと重く響いて、何も書けませんでしたが、明け方目覚めたときに、書き様が見えてきました。
【 お母様の介護ご苦労様です。
前半は周りに面倒見てもらって始まるのですが、後半は周りの面倒を見ながら始まって、たいてい周りに面倒を見てもらって終わります。
前半は思春期の気持ちの不安定さが、後半は、親(や連れ合い)と自分の認知症(など病)が、越えなければならない関所なのかと思います。
SUN FIRST さんは5歳くらいから最初の関所に捕まりました。辛いのはお察ししますが、淡々とダメージ少なく乗り越えるしかないのではないかと思います。

福岡、大分、長崎など九州北部の水害は半端ではありませんね。大分、日田市の我が和尚様は取り敢えずご無事のようでホッとしています。
何十年に一度とか、今までに経験したことのない大雨とか形容されますが、そういうことが頻繁に、どこにでも起きる気象状態になってしまいました。
温暖化防止条約からトランプは抜けましたが、あやつは本当にバカです。自分の人気取りしか考えていません。
我々の生活や社会のあり方を変えないと、人類に明るい明日はありません。
後半戦、課題満載です。共に気長に頑張りましょう!  】

 後半戦はそれなりにハンディもありますが、いいところもあります。楽しくやりましょう。

 問題は、自然災害ですよね。梅雨の豪雨は和歌山、広島、茨城、北海道、九州北部・・・各地で頻繁に起こります。マグニチュード7以上の地震が起こる確率よりも、はるかに頻繁に起こります。台風、落雷、突風、豪雪など、明らかに、今までめったに起こらなかったことが、各地で頻繁に起こるようになりました。
 これは、かつてないほど多数の人間が、かつてない規模で活動していることの結果です。地球環境を大きく変えることなく、人類が棲息していかないと、自然の猛威の前に、一人ひとりの人間のちっぽけさを痛感せざるを得なくなります。

 kazg さんは昨日の記事で書いています。
 http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-07-06
【 慈愛深い自然が、うって変わって牙をむく。恐ろしいことです。人間のか弱さが浮き彫りにされます。英知を尽くして、自然と折り合うすべを探らなければ、と痛感します。
核開発や戦争準備や、人間同士愚かな争いに労力を費やしている場合ではありません。 】

 自然の脅威に対して、政治があまりにもお粗末です。野党や国民を相手に騙すことはできても、あるいはその場を凌ぐことはできても、相手は嘘偽りの通用しない大自然です。政治家の嗜好・志向・思考があまりにも旧態依然とし過ぎていると思いませんか?
 政治とか権威の好きなオジイたちが徒党を組み政党を作って、他の政党と勝った負けたと勝負ごとに明け暮れているのです。何かあったら自衛隊を派遣すれば良いと思っているのかもしれませんが、災害が人を呑み込もうとしているときには、自衛隊といえども、救援には出られないのです。収まるのを待つしかないのです。

 政治の課題として、自然災害+原発などの人災対策をメインに掲げる時期に来ていると思います。
 後半戦は、地球にやさしく生きましょう。またそういう政治家を選ぶようにしましょう。

 おまけの写真はさっき外に出て撮ってきました。今日は七夕ですが、星はほとんど見えません。代わりに満月?が、夏至に近いのでやや低いところに、オレンジ色に出ていました。手許にスマホしかないので、とても見てもらえるお月様ではないのですが・・・
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 本日もありがとうございました。
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こんな人生観はいかが? [人間考]


 早いもので7月になり、1年の後半を迎えることになりました。後半と言うと、もう一つ想い起こすことがあります、たぶん私だけでしょうが・・・

 いつか majyo さんが
【 人生を例えるのに、この4つの言い方がある
「青春・朱夏・白秋・玄冬」私は今、何だろうと考えると玄冬かもしれない。
 枯れていく身であろう・・・
 枯れても種を残すのだ・・・。 】 と書かれていました。
http://majyo1948.blog.so-net.ne.jp/2017-06-14-1

 また、古代インドでは、生涯をやはり四つの時期に分け、四住期(シジュウキ)という考え方があったことが伝えられています。

【「学生期」(ガクショウキ)0歳から25歳の期間。よく学び、体を鍛える時期。
 「家生期」(カジュウキ)25歳から50歳の期間。仕事に励み、家庭を維持する時期。
 「林生期」(リンジュウキ)50歳から75歳の期間。仕事を離れ、真の生き甲斐を探す時期。
 「遊行期」(ユギョウキ)75歳から100歳の期間。自らの死に方について考える時期。 】 だそうです。
          
「青春・朱夏・白秋・玄冬」の4つの区分とも重なるものと思います。充実した人生を過ごすための人生の区分法としては、このあたりが妥当なところではないかと、一応、私も思います。
 しかし、私は、別の人生観も持っています。こういうまともなものとは少々違います。というか、きわめて突飛です。

 子どものときに考えたことなのですが 「人の寿命はなぜ70~80なのだろう? みながそうだからそういうものだと頭が思い込んでしまっていて、それに合わせて年をとり、衰えていって、命尽きてしまうのではないだろうか?」
「120歳ぐらいまで生きる人もいるのだから、人の寿命は実は120歳ぐらいまであるのではないだろうか、そう思って生きているとそのくらいは生きてしまうのではないだろうか」 そんなふうに、むかしむかし考えたものでした。
 人生120年説で生きていると、暢気なものです。思いどおりに行かないことがあっても、いつでも「まだまだこれから・・・」なのです。

 むかし、50代に入ったころ、会社努めをしている友人が「人生の秋を感じる、そろそろ身の振り方を考えなければ・・・」とメールに書いてきました。「ハアッ?」と思ったものですが、「林生期」に当たるわけですから当然の感覚ですよね。でも、120年説で生きていると、まだ半分にも達していないので、「ハアッ?」と思っちゃうわけです。

 さて私事ですが、暢気に60を越して、64歳の時に、かなり進行した前立腺ガンが見つかりました。先生に「どのくらい重いのですか?」と伺ったところ「5年生存率が60%です」と言われて、「人生120年説は現実味がなかったか、想定を変えなければいけないか」と思ったものでした。
 でもいまさらそれを急に短くしたところで過ぎた年の生き方まで戻って変えられるわけではありませんから、120年はそのままに、ただ、半分に分けることにしました。前半の60年は、学び、力をつけ、それを発揮し、家族を養ったり自分を試したり、充実した人生を心掛ける期間。後半の60年は、年金(雀の涙)をもらいながら、好きなことをしたり、周りの世話をしたり、いつ果てることになっても慌てない生活を心掛ける期間。
 「玄冬」とか「遊行期」の生き方に当たると思いますが、違うのは長さです。終わりに区切りをつければ人生総まとめの期間ですが、私の場合は、短ければ今日・明日ですが、長いと60年もあるのです。

 そこで、最初の60年と違って、世の中のことは結構わかっていて、自分のできることもできないことも大体わかっていて、そういう人間が、次の60年を生きるのですから、新しい人生が始まったと思ってもいいわけです。前半戦と前提が全然違う後半戦が始まったのです。こう思うと意外と新鮮です。
 同級生に会うと、「来年は七十だよ、古希だよ!」と驚きとため息の混じった会話をよく耳にします。「まったくねぇ」って一応言っておきますが、腹の中では「十になるだけだよ」と思っているわけです。口に出すと呆れられるから、腹にしまっておきます。
 八十になってようやく二十歳ですからね、自分の年齢を思い出して老いる心配はないわけです。

 そんなふうに、年齢から60を引いて新たなる人生の歳と思うのはいかがでしょうか?

 以上が本日のあきれたテーマでした。

 以下はおまけの写真です。

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 ちょっとピンボケでした <(_ _)>

 あきれたテーマにお付き合いいただきありがとうございました。
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与党は信任されて当たり前、信頼に応える義務がある [人間考]

冷夏で身体を休めていましたら、一昨日から一転、関東にもいつもの暑い夏がやってきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか、暑中お見舞い申し上げます。

さて、二、三日前から書きかけている記事があります。

 親たちが仕事を持っているので、相変わらず爺・婆が子守りをすることが多い日々です。

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7月28日、行田の古代蓮の里に行ってきました。


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なかなか風流な川が作ってあります。孫撮影


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遊具もありました


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 子守りをしながら、選挙結果を反芻している。都知事選は今日なので結果はまだわからない。(いや、夜になって判りました。野党共闘の成果を出したかったけれど、日本会議のオバハンが勝ってしまった、残念)
 先の参議院選挙までの結果を思い浮かべている。

 蓋を開けてみると、なぜか、保守票が多い(と私はいつも感じている)。保守票といっても、今の政権政党は、憲法改正を目指すなど、かなり改革、改変色が強い。特定秘密保護法を作り、憲法違反という批判の強かった安保法制を強引に成立させ(たことにす)るなど、従来の保守路線とは大幅に異なる、行く先の極めて怪しい、強権的な政治路線を敷いている。

 それでも、選挙をしてみると、有権者に占める得票率は低いものの、投票数に占める得票率は相対的に高く、与党圧勝という選挙結果になっている。7月10日の参院選の場合、投票率が54.7%のなか、自民党の得票率は35.9%で、比例区48人中19人を当選させている。選挙区では、73人中36人も獲得している。
 54.7と35.9を掛け合わせると、19.6で、自民党の積極的な支持者は有権者の19.6%に過ぎない。しかし、45.3%を占める投票に行かなかった人の意向を考えると、他人任せ、結果に従うという姿勢の人が多いのだろう。そう思うと、与党支持者がやはり相対多数を占めているのだ。

 なぜ与党支持者は、民主主義をこれほど軽視して先行き怪しい政治に対しても支持を変えないのだろうか、不思議なことである。ナンデダロウ?
 人間にはそういう習性があるのではないだろうかという思いが浮かんだ。人間に限らず、生き物は、自分が生まれ出た世界を学ぶようにできているのだ、生き長らえるために。辺りにあるものをみな生存環境と受け止め、それを手本として学び、それに適応しようとするようにできているのではないだろうか。本能的に、環境に順応するようにできているのだ。
 だから、よほど苦い思いをしたり、学問や思想的裏付けがあって批判精神が芽生えない限り、社会の常識や組織は、正しく機能しているに決まっている、従うべきものと受け止めているのではないだろうか。よもや、「間違っている」とか、「大勢が反対する正しくない政治」などとは思いもしないのではないだろうか。ましてや新聞やテレビが警鐘を鳴らしているわけでなければ、もうすっかり安心・信頼して、現状を肯定、追認、お任せしてしまうのではないだろうか。選挙は現職が強いとよく言われるが、現状肯定が一般心理だからなのだろう。よほどのことがない限り、大衆は現状肯定なのだ。

 70数年前には、そのよほどのことがあり、多くの国民が艱難辛苦を味わってしまった。この時ばかりは、さすがに、占領軍による社会秩序の変革を黙々と受け入れ、半ば喜んで、新しい国に生まれ変わっていった。
 あれから70年、数々の天災と、それが直接の原因となり引き起こされた原発事故以外、一見、大過なく国が営まれてきたものだから、すっかり現状肯定が定着してしまったのだろうか。一握りの与党幹部による国の私物化により、独裁的国家主義の国が間もなく出現するというのに、相変わらずの現状肯定、お任せ主義が続いているのだ。

 人間に、現状肯定心理が内在しているとすると、社会の過半数にはまだ遠く及ばない10%程度でも、異を唱える人たちが出現したら、すでにその時点で、相当に、社会に危機が迫っていると言えるのではないだろうか。
日本はとうにその段階を越えている。与党圧勝などと言っていて良い状況ではなくなっている。本来ならばマスコミが、報道関係者がいち早く気付いて、広く警鐘を鳴らさなければいけないのに、今はその機能が極めて弱っているのだ。
 それから、多くの人が本能的に信頼し肯定的に受け入れる「現状」を執り仕切っている「時の権力者」は、広い見識を持って国民の負託・信頼に応えなければいけない立場にあるのだから、その国民の権利を制限したり、国民の利益に反するような政策を実施するようなことがあってはならない。言うまでもなくそういう責任意識がなければなるまい。
 まるで、幼子にとっての親のような存在なのだ、政治家は。親が子を騙して、子を不幸な目に遭わせてそれで良いわけがない。

 そんなことに思いが至りました。

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7月29日、秩父高原牧場にて。山百合が綺麗に撮れてなくて、失敗


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皆野町のとある家の庭先で


ご訪問に感謝します。


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