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現代の病か モラル格差! [人間考]

新年度は高学年のお勉強のお手伝いを仰せつかりました。公共機関なので、生々しいことはSNSのネタにできないのですが、漠然とした感想ならば問題はないでしょう。

人権作文というのを書かせていますよね、学校では。そのテーマとして「情報化社会と人権」を挙げ、 スマホやパソコンから起こる様々な問題を取り上げたビデオ鑑賞をしました。それを見て感じ考えたことを書いてもらおうという意図のようです。

約1時間、共に映像を見ていて改めて思いました。今の子は凄い時代に生まれちゃったなと。

何が凄いかって、まずは便利さです。ほとんど誰もが電話という通信手段を携帯して行動する時代です。知っているもの同士なら、どちらかが都合の悪い時以外は、いつでもコミュニケーションがとれるのです。肉声でも、文字メッセージでも。こんなことはかつてあり得なかったことです。

知人同士で交信がとれるばかりか、全世界に向けて、言葉でも画像でも、動画でもリアルタイムで発信できるのです。オドロキモモノキサンショノキ(まあ古臭い語呂合わせ!)です。

発信ツールを持っていないとできませんが、持つことは特権階級に限ったことではありません。私もそういう時代に生きて、今まさにそれをやっている一人ですが、自分が生きている間に、そういうことが可能になった、つまり、それ以前を知っている世代です。

ところが今育っている子たちは、それが当たり前になっている時代に誕生した世代です。幼少期からこうしたツールに上手に付き合っていかなければならない人たちです。

まず便利さを挙げましたが、不便さ恐さも同居しています。家族や友人など仲間内で容易に情報を共有することができる反面、それが一旦その枠外に流失すると、止めどなく広がり、すぐに回収不可能となるのです。

個人情報が、身近な出来事が、ここだけの話が、薄皮一枚で世界中と繋がっているのです。他の人が関心を持たなければ拡散することはまずないのですが、そこにこの便利さを悪用しようと狙っている不特定多数の悪意があるのです。

ツールは便利ですが、悪用もできてしまうのです。

児童生徒は、自他の人権を尊重し、侵さないよう、また侵されないよう配慮することを学び、大多数はそのように成長するのですが、それを取り巻く社会は、他人の人権など一顧だにせず、個人の情報を、財産を、名誉を、人生そのものを奪い盗ろうとする悪意が少なからず存在するのです。

格差社会とよく言われますが、経済格差ばかりでなく、このモラル格差の大きさも驚くばかりです。オンラインで利便を図ろうとするシステムはハッカーが、金持ちは詐欺師が、スキャンダルは妬みに満ちた人が・・・鵜の目鷹の目で狙っているのです。

そういう社会なんですね、今は。様々な、というか、両極端のモラルの人が、この便利さを活用しようとしています。

子どもたちに人権を考えてもらうことはもちろん大事なことですが、このモラル格差については、大人が真剣に考える必要がありますね。テロもそうです。オレオレ・振り込み・アポ電などの詐欺集団もしかり。煽り運転や自動車暴走犯もしかり。

麻薬や密輸、恐喝などの悪事を働く集団は、かつては暴力団としてくくれ、取り締まれましたが、今は、その枠外に、他人の人生をまったく顧みない人たちがたくさんいます。現代の病としてしっかり認識し、対応を考える必要がありますよね。

そんなことを痛感した次第です。

少し表現が足りていなかったようなので、付け足します。

文明の利器はたいてい諸刃の剣、人類に幸福をもたらすと同時に、不幸をもたらす使い方もできてしまいます。

情報伝達機器もそうです。通常は、被害に遭わないようにとか、意図せず加害者になってしまわないようにとかの心得を伝え合います。
これ、善人が前提です。

ところがかなりの割合で悪意を持つ人が潜んでいるのですよね。
この悪意を警察の取り締まりに任せておくだけではダメなのではないか、世の中全体で対処する必要があるのではないかというのが今回のテーマでした。

他人を不幸にすることがどのくらい罪なことなのか、人類の一員としての基本ですね、これを教える、言い続けることの大切さを感じました。

正に人権作文や道徳授業でやっているではないかとも思われますが、どうも、善人がより慎ましく生きることの方に重点が行ってしまっているような気がします。

人を不幸にすることはダメなんだという単純なことをまずはしっかり押さえたいものです。

それから経済格差や諸々の不平等など、悪意を生み出す原因が少なからず社会の側にもあるわけです。ですから、それらを減らす努力もしていかなければなりません。

悪人、悪意を減らす努力を積極的にやっていかないで、ただ便利なものを開発し続け、被害に遭わない心得を伝授し合っても、人類は幸せになれないのではないか、果たしてこの子たちは幸せに生きることができるのだろうか?
そんなことを感じたのでした。


以下おまけの写真、今日はモッコウバラ(木香バラ)です。

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チューリップとのコラボ
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以上です。ありがとうございました。


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人類の未来? [人間考]

さて、地球の未来です。

「地球の未来」以前にこの国の未来が心配です。差し当たって近い未来、すぐそこの統一地方選と参議院議員選挙。
でもそこに話題が行っちゃうといつもと変わらなくなっちゃいますからね、ここは頑張って地球の未来に想いを馳せます。

まず地球の未来ですが、惑星としての地球の未来については、専門の科学者にお任せします。彗星の衝突でもない限りは、多分、相当しばらくの間、安定してほぼこの位置で太陽の周りを回っているのでしょうね。

グローバルウォーミングやオゾン層の破壊が進行しているようですから、生命にとっての環境は変わりつつあるのかもしれません。それによってこの惑星の表面の様子は変化してしまうかもしれませんが、地球という惑星の存在に変化はないでしょう。

想いを馳せるとしたら、人類の未来でしょうか。
まず、第三次世界大戦が起きて、大国が核兵器を載せたミサイルを撃ち合ったらどうなるか?

人類はこれでお仕舞いでしょうか?
この大戦で命を失う人は、世も末、人類滅亡と思うでしょう。しかし地球全部が核汚染されるわけではありませんから、生き残る人はいましょう。

日本はどうか、私たちはどうかと想うに、日本が中立・平和主義で戦争をしない国を貫けば被爆を免れるかもしれませんが、今のアベ政治のように日米同盟を強化し戦争のできる国づくりを進めていると、あちこちから核ミサイルが飛んできてしまうでしょう。

領土は狭いし、地下壕とか対策もほとんどしていませんから、逃げ場がありません。地獄絵です。私たちの多くは、世も末、人類滅亡と知覚しつつ、命を失うでしょう。

比較的ダメージが少なく生き残る地域もありましょうが、文明生活の維持は不可能です。核汚染のために生命や健康の維持も難しくなるでしょう。奇形や奇病が多発するでしょう。

その後の地球は、生き残った人がダメージの少ない地域で細々と人類の営みを続けることになるわけですが、生き残った人たちが、ダメージの少ない場所をめぐってさらに争い・殺し合いを続けるのか、貴重な生き残りとして助け合って復興を目指すのかは、生き残った人たちの心理次第です。

荒廃した地球で、緑や他の生き物と共に復活を目指そうと協調し合うのでしょうかねぇ、それとも、棲みにくくなった生活環境の中で、弱肉強食の覇権争いを繰り広げるのでしょうか、生き残った人たちは?

人類は類似の体験を二度行っています。人類といってもヨーロッパの人たちですが、第一次大戦と第二次大戦です。日本は一度ですが核被爆体験は日本のみです。

人類は何度体験しても同じことを繰り返すのでしょうか。それとも経験することにより懲りるのでしょうか。科学技術の発達により、兵器の殺傷能力は増すばかりです。戦争の悲惨さが経験値を超えることは明らかです。そうした理性は働くのでしょうか?

過去の体験や未来の予測で、自己を制御できるのか否かに人類の未来はかかっています。

ミレニアムを迎えようとしている頃は、ノストラダムスの大予言なるものもあり、悲観的な風潮がありました。でも私は、人類が問題点を認識すれば、きっと愛と理性がそれを克服するだろうと思っていました。

ところが、21世紀の初っ端、アメリカで同時多発テロが起きました。アメリカは闇雲に報復に走りました。アフガン侵攻、イラク侵攻・・・その後も紛争は絶えません。

さらにアメリカは、自分ファースト、自国ファーストを唱えるトランプが大統領になりました。ロシアも中国も当然のように自国第一主義です。日本はアメリカべったりで、自分・自党ファーストの独裁政治を目指しています。

自分や自国第一主義が克服できるかどうかに人類の未来はかかっているというのに、ですよ。

こんな考えに人類の明るい未来はないのですが、今はその方向です。殺戮兵器だけは確実に進化してますが、それを操る人はまったく愚かです。むしろ退化しています。


どんな未来像が好いか、一人一人が心に決め、それを声を大にして訴え、愚かな指導者があれば諌め、封じ込めていかないと、人類の悲劇、迷走は拡大し、延々と続くことになるでしょう。


以上、鬼も笑う未来に想いを馳せてみました。皆さまのご意見ご感想もお聞かせください。お待ちしております。

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ノーベル平和賞で“I can”訴える [人間考]

 <ノーベル平和賞>サーロー節子さん「核廃絶の始まりに」
 記念講演でサーロー節子さんが世界中に訴えたのですね、被曝の恐ろしさを!

 一方、日本政府はスガ官房長官が、ヌメッとまたなんか言ったらしい

 朝日新聞デジタルによると
【 国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)のノーベル平和賞授賞について、菅義偉官房長官は11日午前の記者会見で「日本政府のアプローチとは異なるが、核廃絶というゴールは共有している。国際社会の核軍縮、不拡散に向けた認識や機運が高まることは喜ばしい」と述べた。】のだそうですよ。

 日本という国は、こんな世渡りをしていると、本当に世界からバカにされます、軽蔑されます。
 核廃絶というゴールに近づくためには、その残酷さを、その非人間性を世界中に訴えて、世界世論を作っていくしかないじゃありませんか。そうして使えなくし、使えないものを持っていても仕方がないということを核保有国にわからせて放棄させる、この道しかありませんよ。

 その道にまっすぐ向かうには、「Yes, I can.」を広めることですよ。その先頭を切るのに一番ふさわしい国が、そしてそれを最もやるべき立場にある国が日本じゃありませんか。世界史の流れを、人類の歩みを見ていると、どう見てもそうですよ、明るい未来につながる理性的な方向は。
 それを日本という国は、核の傘に入っているからそういう立場は採れないと、とぼけて横っちょを向いてしまっている。核の傘の有効性を自ら認めているようでは、核廃絶なんか達成できっこありません。「ゴールは共有している」などとコウモリみたいなことは言わない方がいいですよ。恥の上塗りです!

 どうしちゃったのですかね、日本人、日本政府!
 この政治家の無能さ、悪辣さは、改めて問題にしないといけませんね。
 政治家を目指す人が我欲の強い人に偏り過ぎている、庶民の多くが権力者を無頓着に礼賛し過ぎる、官僚などお取り巻きが出世や保身のために忖度し過ぎる、マスメディアも、権力と視聴者に迎合し過ぎる・・・
 この辺をもっともっと問題視して、反省・改善していかないといけませんね!


 さてさて私ごとです。書きそびれましたが、9日土曜は、冷蔵庫や何やら重い物の移動とそれに伴う片付け事があって、力仕事に明け暮れました。だから何かというと、今日は大いに身体を動かしたと思ったら、スマホの歩行計が2千8百歩しか行っていないでがっかりしました。平均を8千歩ぐらいにしたいので、おやまあと思った次第です。
 一昨日の日曜日、「熊谷空襲を忘れない市民の会」の定例会に賛同者として1時間ほど飛入り参加しました。
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 ここは、執行部の打ち合わせ会という感じ、少数精鋭です。
 でも会長さんが、こんなシホンケーキを作って待っていてくださるので、ご都合のつく方は参加してみるといいんじゃないでしょうか・・・
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 その日曜日がやはり何かと忙しく、5千7百歩、昨日が8千9百歩でした。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。

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他人の身になれる人となれない人 [人間考]


 人にはできることとできないことがあります。人類は同類ということで、それがみな同じならば解りやすくていいのですが、ところがこれがかなり違うのが実情です。

 たとえば、いま話題になっている、自殺願望のある人を9人も死なせた、あるいは殺したなどという行いは、私に限らず多くの人ができないでしょう。また、サービスエリアで停め方を注意されたことを逆恨みして、高速道路の追い越し車線に車を停めさせ、相手を車外に引きずり出すなどということも、できない人が多いのではないでしょうか。いじめが高じてリンチ殺人などという事件もときどき報じられます。

 関東大震災の直後、朝鮮人が井戸に毒を入れたという噂が流れ、朝鮮人を捕えて、あるいは移送中の朝鮮人に対して、暴行を加え死なせてしまった事件が各地で起きましたが、こういう行為も、できる人とできない人がいると思われます。
 なべて他人に対する残忍な行為は、できてしまう人とできない人がいます。

 できる人とできない人では何が違うのでしょうか?
 脳の一部部位に構造上の差があるのか、単なる発達差による機能上の差だけなのか詳しいことは分かりませんが、できない人は想像力があり、できる人は想像力が欠けていると思われます。

 何の想像力かというと、他人の身になってものを感じ考えることができるかどうかという点です。普通の人は、それができます。いわゆる共感ということです。直接自分に関係ない人のことでも、その人の努力が報われ優勝したとか聞くと、嬉しくなります。嬉しいだろうなあ、喜んでいるだろうなあと想像するとこちらも嬉しくなるのです。

 悲しいことや悔しいこともそうです。その人の身になってその思いを想像したり、共有したりすることができます。そういうことができるように、人間というのはできているのではないでしょうか。他人の身になることができると、他人に惨いことをすることができなくなります。自分がそんな仕打ちを受けるようなことがあったら堪らないと思うからです。

 一方で、他人の身になれないという人もかなりの割合でいるようです。自分は決定的に自分であって、他人は決定的に他人なのです。他人の苦しみはあくまでもその人の苦しみであって、自分は痛くも痒くもないのです。いわばザマアミロの感覚なのです。

 こういう人は、他人を苦しめることが平気で出来てしまいます。化学兵器を作り出すために、ためらいもなく人体実験をしてしまいます。何百万人も処刑して、その民族を滅ぼそうとすることなどもできてしまいます。腹が立てば相手を死なせることも何でもないのです。自分以外の人間の命が一つ消えるだけのことなのですから。

 人間の様々な面の多様性については、たいていのことが正規分布、つまり平均的な人の割合が一番高く、二方向への変わり方が大きくなるほど割合が低くなるような分布を示す傾向があるように思えます。しかし、この共感性については、有るか無いかで極端に違うため、二分できそうな気がします。しかし程度の差というのはやはりあるでしょうから、分布曲線を描くと二山できるのではないかと思えるのです。

 つまり他人をためらい少なく攻撃できる人と、そんなことはできない人とが混在しているのが人の世ではないかと思うのです。
 この人間性の違いはたいへん大きな差になって現れます。前者は自分の感性が中心のため、感性が合わない他人を敵と見ます。国ならば簡単に敵国と見ます。敵に負けたら滅ぼされますから、負けないように準備します。また負けないためには先制攻撃も辞しません。

 一方、後者は、他人や他国を攻めることなどする気はありませんから、闘うのは正当防衛のときのみです。これだけ違う人が同じ国を営んでいます。割合からいくと、後者の方が多いので、戦争にはなりにくいのですが、ひとたび前者が主導権を握ると、社会はとんでもないことになります。

 なぜなら前者は他人の痛みに想いを馳せない人たちなのです。他人の痛みが分かって他人を攻撃したくない人を容赦なく巻き込んで、敵国も自国もなく他人を攻撃し始めるのです。

 これが戦争・戦時体制です。かつての戦争もそういう面がありました。他人の身になれない人たちに、国の、社会の主導権を握らせてはいけません。

 どこの国にも、他人の痛みが分かる普通の人がたくさん住んでいるのです。旅行に行ってみればわかります。テレビカメラが入ればすぐにわかります。いまはそういう時代です。何だかわからない恐ろしい民族と、食うか食われるかで戦う時代ではありません。他人を他国を鬼畜のように思っている人に騙されてはいけません。

 最近の事件や政治の動きから、そんなことを思ったのでした。本日は文字ばかりで失礼しました。

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政治を政党間の権力争いに終わらせてはいけない! [人間考]


 「熱いぞ熊谷」ですからね、当地は暑いのです。暑い夏を過ごして、あと51年も生きられる体力があるのか?って思いますが、それなりの秘訣があります。盛夏はTシャツ一枚で過ごします。汗をかいて扇風機に当たっていると、それほどダメージは受けません。ワイシャツや背広を着たりしなければならないときは大変です。なるべく汗をかきたくないから、動作はのろくなり、立ち話は早めに片付けたくなります。
 最近はクールビズですから、まして後半戦に入っていますから、Tシャツでほぼ失敬しちゃっています。

 問題は夜なんです。夕方の気温が28℃くらいあると、周りの集合住宅が一斉にエアコンを点けますから、その排熱で外気温が30℃以上になってしまいます。そうなると窓を開けて壁掛け扇を回し放しで寝るのも辛くなります。そんな日は、枕を持ってうろうろ、家人のエアコン部屋に潜入したりします。

 夏の暑さの凌ぎ方は心得たものですが、暑気あたりではなくて、食あたりがたまにあります。家人の一人が仕事の休みを利用して、新潟から山形の海岸に出かけます。そこで岩牡蠣とかサザエとかの海産物を発泡スチロールに詰めて買ってきます。おとといの晩は、岩牡蠣とサザエの網焼きを、ゆうべはサザエの網焼きのみを食べたのです。以前あたって七転八倒したことがあって、警戒はしているのですが、つい身のしまった牡蠣の食感と甘い味を思い出すと誘惑に負けて食べてしまいます。

 昨日は平気だったので、安心していたら、今日は朝からトイレ通いになりました。昼も食欲なし、夜もなし、ポカリスエットなど水分補給のみで今に至りました。家人にうつす恐れもあり、ほぼ一日、サマーペットで寝てました。そんなわけで気力充実というわけではないのですが、昨日も更新していないので、今日こそは少しでもとパソコンに向かっています。

 一昨日の記事で、六十を過ぎたら、人生の後半戦を、生まれ変わったつもりで新鮮に生きてみるのはどうだろうと、暢気なことを書きました。そうしたところ、SUN FIRST さんから切実なコメントをいただきました。
【 いま自分は認知症となった母の介護に明け暮れています。
何も言うことができません。
大分福岡目を覆っています。
何も言うことができません。
明日が来てほしくありませんが?
わたくし・・・。  】

 ずしんと重く響いて、何も書けませんでしたが、明け方目覚めたときに、書き様が見えてきました。
【 お母様の介護ご苦労様です。
前半は周りに面倒見てもらって始まるのですが、後半は周りの面倒を見ながら始まって、たいてい周りに面倒を見てもらって終わります。
前半は思春期の気持ちの不安定さが、後半は、親(や連れ合い)と自分の認知症(など病)が、越えなければならない関所なのかと思います。
SUN FIRST さんは5歳くらいから最初の関所に捕まりました。辛いのはお察ししますが、淡々とダメージ少なく乗り越えるしかないのではないかと思います。

福岡、大分、長崎など九州北部の水害は半端ではありませんね。大分、日田市の我が和尚様は取り敢えずご無事のようでホッとしています。
何十年に一度とか、今までに経験したことのない大雨とか形容されますが、そういうことが頻繁に、どこにでも起きる気象状態になってしまいました。
温暖化防止条約からトランプは抜けましたが、あやつは本当にバカです。自分の人気取りしか考えていません。
我々の生活や社会のあり方を変えないと、人類に明るい明日はありません。
後半戦、課題満載です。共に気長に頑張りましょう!  】

 後半戦はそれなりにハンディもありますが、いいところもあります。楽しくやりましょう。

 問題は、自然災害ですよね。梅雨の豪雨は和歌山、広島、茨城、北海道、九州北部・・・各地で頻繁に起こります。マグニチュード7以上の地震が起こる確率よりも、はるかに頻繁に起こります。台風、落雷、突風、豪雪など、明らかに、今までめったに起こらなかったことが、各地で頻繁に起こるようになりました。
 これは、かつてないほど多数の人間が、かつてない規模で活動していることの結果です。地球環境を大きく変えることなく、人類が棲息していかないと、自然の猛威の前に、一人ひとりの人間のちっぽけさを痛感せざるを得なくなります。

 kazg さんは昨日の記事で書いています。
 http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-07-06
【 慈愛深い自然が、うって変わって牙をむく。恐ろしいことです。人間のか弱さが浮き彫りにされます。英知を尽くして、自然と折り合うすべを探らなければ、と痛感します。
核開発や戦争準備や、人間同士愚かな争いに労力を費やしている場合ではありません。 】

 自然の脅威に対して、政治があまりにもお粗末です。野党や国民を相手に騙すことはできても、あるいはその場を凌ぐことはできても、相手は嘘偽りの通用しない大自然です。政治家の嗜好・志向・思考があまりにも旧態依然とし過ぎていると思いませんか?
 政治とか権威の好きなオジイたちが徒党を組み政党を作って、他の政党と勝った負けたと勝負ごとに明け暮れているのです。何かあったら自衛隊を派遣すれば良いと思っているのかもしれませんが、災害が人を呑み込もうとしているときには、自衛隊といえども、救援には出られないのです。収まるのを待つしかないのです。

 政治の課題として、自然災害+原発などの人災対策をメインに掲げる時期に来ていると思います。
 後半戦は、地球にやさしく生きましょう。またそういう政治家を選ぶようにしましょう。

 おまけの写真はさっき外に出て撮ってきました。今日は七夕ですが、星はほとんど見えません。代わりに満月?が、夏至に近いのでやや低いところに、オレンジ色に出ていました。手許にスマホしかないので、とても見てもらえるお月様ではないのですが・・・
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 本日もありがとうございました。
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こんな人生観はいかが? [人間考]


 早いもので7月になり、1年の後半を迎えることになりました。後半と言うと、もう一つ想い起こすことがあります、たぶん私だけでしょうが・・・

 いつか majyo さんが
【 人生を例えるのに、この4つの言い方がある
「青春・朱夏・白秋・玄冬」私は今、何だろうと考えると玄冬かもしれない。
 枯れていく身であろう・・・
 枯れても種を残すのだ・・・。 】 と書かれていました。
http://majyo1948.blog.so-net.ne.jp/2017-06-14-1

 また、古代インドでは、生涯をやはり四つの時期に分け、四住期(シジュウキ)という考え方があったことが伝えられています。

【「学生期」(ガクショウキ)0歳から25歳の期間。よく学び、体を鍛える時期。
 「家生期」(カジュウキ)25歳から50歳の期間。仕事に励み、家庭を維持する時期。
 「林生期」(リンジュウキ)50歳から75歳の期間。仕事を離れ、真の生き甲斐を探す時期。
 「遊行期」(ユギョウキ)75歳から100歳の期間。自らの死に方について考える時期。 】 だそうです。
          
「青春・朱夏・白秋・玄冬」の4つの区分とも重なるものと思います。充実した人生を過ごすための人生の区分法としては、このあたりが妥当なところではないかと、一応、私も思います。
 しかし、私は、別の人生観も持っています。こういうまともなものとは少々違います。というか、きわめて突飛です。

 子どものときに考えたことなのですが 「人の寿命はなぜ70~80なのだろう? みながそうだからそういうものだと頭が思い込んでしまっていて、それに合わせて年をとり、衰えていって、命尽きてしまうのではないだろうか?」
「120歳ぐらいまで生きる人もいるのだから、人の寿命は実は120歳ぐらいまであるのではないだろうか、そう思って生きているとそのくらいは生きてしまうのではないだろうか」 そんなふうに、むかしむかし考えたものでした。
 人生120年説で生きていると、暢気なものです。思いどおりに行かないことがあっても、いつでも「まだまだこれから・・・」なのです。

 むかし、50代に入ったころ、会社努めをしている友人が「人生の秋を感じる、そろそろ身の振り方を考えなければ・・・」とメールに書いてきました。「ハアッ?」と思ったものですが、「林生期」に当たるわけですから当然の感覚ですよね。でも、120年説で生きていると、まだ半分にも達していないので、「ハアッ?」と思っちゃうわけです。

 さて私事ですが、暢気に60を越して、64歳の時に、かなり進行した前立腺ガンが見つかりました。先生に「どのくらい重いのですか?」と伺ったところ「5年生存率が60%です」と言われて、「人生120年説は現実味がなかったか、想定を変えなければいけないか」と思ったものでした。
 でもいまさらそれを急に短くしたところで過ぎた年の生き方まで戻って変えられるわけではありませんから、120年はそのままに、ただ、半分に分けることにしました。前半の60年は、学び、力をつけ、それを発揮し、家族を養ったり自分を試したり、充実した人生を心掛ける期間。後半の60年は、年金(雀の涙)をもらいながら、好きなことをしたり、周りの世話をしたり、いつ果てることになっても慌てない生活を心掛ける期間。
 「玄冬」とか「遊行期」の生き方に当たると思いますが、違うのは長さです。終わりに区切りをつければ人生総まとめの期間ですが、私の場合は、短ければ今日・明日ですが、長いと60年もあるのです。

 そこで、最初の60年と違って、世の中のことは結構わかっていて、自分のできることもできないことも大体わかっていて、そういう人間が、次の60年を生きるのですから、新しい人生が始まったと思ってもいいわけです。前半戦と前提が全然違う後半戦が始まったのです。こう思うと意外と新鮮です。
 同級生に会うと、「来年は七十だよ、古希だよ!」と驚きとため息の混じった会話をよく耳にします。「まったくねぇ」って一応言っておきますが、腹の中では「十になるだけだよ」と思っているわけです。口に出すと呆れられるから、腹にしまっておきます。
 八十になってようやく二十歳ですからね、自分の年齢を思い出して老いる心配はないわけです。

 そんなふうに、年齢から60を引いて新たなる人生の歳と思うのはいかがでしょうか?

 以上が本日のあきれたテーマでした。

 以下はおまけの写真です。

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 ちょっとピンボケでした <(_ _)>

 あきれたテーマにお付き合いいただきありがとうございました。
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与党は信任されて当たり前、信頼に応える義務がある [人間考]

冷夏で身体を休めていましたら、一昨日から一転、関東にもいつもの暑い夏がやってきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか、暑中お見舞い申し上げます。

さて、二、三日前から書きかけている記事があります。

 親たちが仕事を持っているので、相変わらず爺・婆が子守りをすることが多い日々です。

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7月28日、行田の古代蓮の里に行ってきました。


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なかなか風流な川が作ってあります。孫撮影


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遊具もありました


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 子守りをしながら、選挙結果を反芻している。都知事選は今日なので結果はまだわからない。(いや、夜になって判りました。野党共闘の成果を出したかったけれど、日本会議のオバハンが勝ってしまった、残念)
 先の参議院選挙までの結果を思い浮かべている。

 蓋を開けてみると、なぜか、保守票が多い(と私はいつも感じている)。保守票といっても、今の政権政党は、憲法改正を目指すなど、かなり改革、改変色が強い。特定秘密保護法を作り、憲法違反という批判の強かった安保法制を強引に成立させ(たことにす)るなど、従来の保守路線とは大幅に異なる、行く先の極めて怪しい、強権的な政治路線を敷いている。

 それでも、選挙をしてみると、有権者に占める得票率は低いものの、投票数に占める得票率は相対的に高く、与党圧勝という選挙結果になっている。7月10日の参院選の場合、投票率が54.7%のなか、自民党の得票率は35.9%で、比例区48人中19人を当選させている。選挙区では、73人中36人も獲得している。
 54.7と35.9を掛け合わせると、19.6で、自民党の積極的な支持者は有権者の19.6%に過ぎない。しかし、45.3%を占める投票に行かなかった人の意向を考えると、他人任せ、結果に従うという姿勢の人が多いのだろう。そう思うと、与党支持者がやはり相対多数を占めているのだ。

 なぜ与党支持者は、民主主義をこれほど軽視して先行き怪しい政治に対しても支持を変えないのだろうか、不思議なことである。ナンデダロウ?
 人間にはそういう習性があるのではないだろうかという思いが浮かんだ。人間に限らず、生き物は、自分が生まれ出た世界を学ぶようにできているのだ、生き長らえるために。辺りにあるものをみな生存環境と受け止め、それを手本として学び、それに適応しようとするようにできているのではないだろうか。本能的に、環境に順応するようにできているのだ。
 だから、よほど苦い思いをしたり、学問や思想的裏付けがあって批判精神が芽生えない限り、社会の常識や組織は、正しく機能しているに決まっている、従うべきものと受け止めているのではないだろうか。よもや、「間違っている」とか、「大勢が反対する正しくない政治」などとは思いもしないのではないだろうか。ましてや新聞やテレビが警鐘を鳴らしているわけでなければ、もうすっかり安心・信頼して、現状を肯定、追認、お任せしてしまうのではないだろうか。選挙は現職が強いとよく言われるが、現状肯定が一般心理だからなのだろう。よほどのことがない限り、大衆は現状肯定なのだ。

 70数年前には、そのよほどのことがあり、多くの国民が艱難辛苦を味わってしまった。この時ばかりは、さすがに、占領軍による社会秩序の変革を黙々と受け入れ、半ば喜んで、新しい国に生まれ変わっていった。
 あれから70年、数々の天災と、それが直接の原因となり引き起こされた原発事故以外、一見、大過なく国が営まれてきたものだから、すっかり現状肯定が定着してしまったのだろうか。一握りの与党幹部による国の私物化により、独裁的国家主義の国が間もなく出現するというのに、相変わらずの現状肯定、お任せ主義が続いているのだ。

 人間に、現状肯定心理が内在しているとすると、社会の過半数にはまだ遠く及ばない10%程度でも、異を唱える人たちが出現したら、すでにその時点で、相当に、社会に危機が迫っていると言えるのではないだろうか。
日本はとうにその段階を越えている。与党圧勝などと言っていて良い状況ではなくなっている。本来ならばマスコミが、報道関係者がいち早く気付いて、広く警鐘を鳴らさなければいけないのに、今はその機能が極めて弱っているのだ。
 それから、多くの人が本能的に信頼し肯定的に受け入れる「現状」を執り仕切っている「時の権力者」は、広い見識を持って国民の負託・信頼に応えなければいけない立場にあるのだから、その国民の権利を制限したり、国民の利益に反するような政策を実施するようなことがあってはならない。言うまでもなくそういう責任意識がなければなるまい。
 まるで、幼子にとっての親のような存在なのだ、政治家は。親が子を騙して、子を不幸な目に遭わせてそれで良いわけがない。

 そんなことに思いが至りました。

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7月29日、秩父高原牧場にて。山百合が綺麗に撮れてなくて、失敗


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皆野町のとある家の庭先で


ご訪問に感謝します。


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ボランティアは気の向くことしかやりません? [人間考]

ここ数日は、珍しく、かなりイライラしていました。その原因がわかりました。

その前に
27日は、三月に一度の通院日で、隣県の大学病院に行ってきました。先日やった骨シンチとCT検査の結果は、
「安定してますね。特に問題はありませんね」一安心。でも、
「胃と腸の中の検査はやっておいてくださいね」
消化管の中のことまではよくわからないらしい。補助金が出るガン検診を受けることにしよう、そのうち。

さて、イライラの原因は、一つは家人の理不尽な発言。「ったく何を言ってるのかね、この人は!」と思うような。
あちらはあちらで、家事と子守で時間的束縛を受けているから、イライラしているんでしょうね、どちらも相応に分担しているつもりだけど・・・

もう一つの原因も判明。
例の音楽祭の舞台打ち合わせのときに、使用中でできなかったプロジェクターとPCのマッチングチェックが、おととい28日に行われました。
IMG_2525 舞台天井.jpg

こんなのが天井から降りてきて、下側が前側に吊り上げられ、舞台の天井になるんですね。舞台裏というか、舞台前を見ちゃいました。

さて、肝心の機器のチェックは、無事使えることがわかって一安心したのですが、この晩、このことを実行委員に知らせるメールを出したのです。私のPCは自宅になくて、3~4百メートル離れた仕事場にあるものですから、夜遅くなると出かけるのもちょっと面倒。でも「今日のことはメール発信してくれるんですよね」と、同行したお仲間の一人から言われていたのです。

言われた通りにメールを発信したのですが、翌朝気がつきました。あれは、言われたからしたのであって、自分の意志ではしなかったな。なぜなら、関係者は居合わせていて、他の実行委員に知らせる意味がほとんどないものな。
自分が、この音楽祭の件で、煽られていることに気がついたのです。

ボランティアというのは、自分から納得して進んでやることですから、人から動かされてすることではないんですね。そういうものの寄せ集めで会が動いていく。

イベントが近づいてくると、イベントを成功させるために、細かいことがいろいろ気になってきます。神経質になってきます。今の時点でイベントの準備が万全整っていれば誰もヤキモキしないのですが、そうもいきません。広報活動をしたり、当日のボランティアを募ったりしながら、段々煮詰めていく部分もあります。

例えば弁当のことは、まだ先で、数日前でいいのです。早いに越したことはありませんから、引き受けたら引き受けた人がやってくれればいいのです。
当日までにしなければならないことは、まだまだたくさんありますが、いっぺんにはできないのです。先のことの気になり具合は人によって違うものです。
でも、みながボランティアですから、自分のやりたいこと、やれることを重点に、進めていくしかないのです。

「これからはチームワークが大事です」と言われるとそのとおりなのですが、「さて、チームワークが悪かったのかなあ?」と心配になります。
絶妙のチームワークで、実に順調に、ことがここまで進んできたのです。ありがとうございます、の心境です。

こんなことを書いたら、お仲間が傷つきませんか?私も多少は心配ですが、でも大丈夫です。私はお仲間のタフさを信じています。きっとわかってくれます。
(これを見ても決して謝らないでくださいね、謝る必要は毛頭ないのですから。善意でやっていることはよくわかっていますから・・・)

完璧にできなくたって、もちろんいいんです。素人がやっているのですから、手作りなんですから。
でも、できるだけいい音楽祭にしますよ~
お近くの人はぜひ見に、聴きに、歌いにいらしてくださいね!

(以上は、未明にスマホのメモ帳に書きました)

28日にポスターができてきました。お仲間のご尽力によります。
IMG_2531 ポスター.jpg

さっそく配り始めました。

ちょっとしつこい?定点映像、別角度です。本日。
IMG_2526 伐採欅のその後.jpg


こちらサイドはクレームが入って、業者としては仕上げ不十分でやめた木々です。
IMG_2527.jpg


本日はこんなところです。雨降って地固まりますよう!

ご訪問に感謝します。



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「戦争は誰でもいや」は本当か? [人間考]

「あの友、その後」でご紹介した友の考えは、〈自国の政府を信じて強靭な国を作り、いまそこにある危機を見据え現実的な対処を行っていく必要がある〉とするものです。これは、アベ政権は危険極まりないと感じる私たちの考えと180度違うものです。
 しかし彼は〈以下の点については賛同しました〉とも言っています。以下とは
〈 *戦争は未来を破壊
戦争の大きな罪の一つは人間の尊厳とともにその者の可能性や将来、そして夢を容赦なく一瞬で奪うことです。深い怒りを感じます。

 *最も残酷な餓死
日本軍の最大の問題というか罪は兵士を餓死させたことです。特に陸軍ですがこれは軍隊としては落第で恥ずかしいことです。皇軍を名乗る資格はありません。

*戦争は人類の天敵、許さぬ
全くその通りだと思います。日本は今後とも平和主義を国是として国を進めるべし。ただし丸腰ではいけません。〉

 これには賛同するとあるのです。(アベ総理など政権担当者も、この点については、しばしば同意するかのような発言をしています。)この述懐に触れると、私たちは、まず、大いなる矛盾を感じます。同じ考えを持ちながらなぜ違う結論に至ってしまうのかと。彼の頭の中はどうなっているのかと。
 しかし、はっきりこう断言している以上、彼の頭の中ではたぶん少しも矛盾していないのでしょう。
 すると、彼らも同じ考えを持ちながら、そこに至る方法が違うのだと思いがちです。「平和を願う」とか「戦争に反対する」とかという私たちのスローガンは意味がないのではないかと思いがちです。
 しかし、実は決定的に違うのです。もうお気付きの方も多いと思いますが、念のためこの点をはっきりさせておきたいと思います。

 彼らにも、同じ思いがあるのでしょう、誰だって戦争なんかしたくはないんだという思いが。そのための備えが必要なだけだと。
 では、どこが決定的に違うのかと言えば、戦争を厭い、平和を願う気持の強さ、優先順位が違うのです。同じ尺度は持っているとしても、その尺度をいつ、どの段階で適用するかということが大事なのです。
 私たちは、ほとんどそこから物事を考え始めます。社会にとって、日本にとって、人類にとっても、この考えが最も大事なのだという思いが強いのです。
 そのためには色々なことを克服しなければいけないと思うのです。隣国と、世界の他の国と仲良くやっていくにはどうしなければいけないのか、どうしたらいけないのかと、思考を巡らせます。
 ところが彼らの場合は、そういう思考の回路が回り始める前に、隣国の脅威が、共産主義の脅威が、日本国の優越性が、先にあるのです。彼らはそれを〈現実〉と言っています。そう思っています。
 そして、その〈現実〉の認識が間違っていないことを確認するために、一生懸命文献を調べます。
 結論を言えば、そういう見方はできるのです。が、それが本当に動かし得ない現実なのかどうかは、誰もわかりません。見方のひとつに過ぎないのです。克服しなければならない誤った見方なのかもしれません。
 大切なのは、未来の日本に、あるいは地球に住む人の住み方なのです。明るい未来につながる方策を考えなければなりません。
 戦争はいつ始まるか?と言えば、敵ができた時から始まるのです。敵はいつできるかと言えば、こちらが相手を敵だと思った時からなのです。相手に敵だと思われないように、相手を敵だと思わないようにすることが大事です。それを〈敵がいるのが現実〉だと思って頭の回路が回り始めたのでは、当然、それへの備えをすることが〈平和と安全のための策〉ということになります。

 他のことにたとえるなら、「健康で長生きしたい」という願いなどにも似たようなところがあります。わりと誰でもそんな思いはあります。
 この価値観の優先順位が高い人は、健康に良くないと言われていることは、できるだけ遠ざけようとします。タバコは吸わない、暴飲暴食はしない、取り越し苦労はしない、安全運転を心がける…などなど。
 しかし、同じ思いを持っていても、生活習慣は様々です。「あれじゃ長生きできないよ」と周囲がハラハラするような生活をしている人もたくさんいます。
 同じ思いを持っているというだけではダメなのです。その思いがどのくらい強いか、そこが決定的に大事なのです。

〈私たちも、戦争には反対です、平和を望んでいます〉には、欺瞞があります、あるいは優先順位の低さがあります。
 一方、私たちが「戦争絶対反対、平和外交を貫け、憲法を守れ、基本的人権を尊重しろ・・・」というのは、彼らの言うこととは重みが、優先順位が全然違います。ですから、迷わず、引き続き言い続けなければならないと思います。そして、彼らの欺瞞性を、優先順位の低さを追及し続けなければなりません。
 DoBitcHさんの街頭での「戦争反対です」の呼びかけには明らかに優先順位の高さが現れています。それ故その呼びかけで「戦争法の廃止を求める統一署名」を集めても、その行為になんら偽りはないと思います。優先順位の低い人がそのように叫ぶことを問題にすればよいと思います。

 私たちは戦争を厭い、平和を願いますが、それも私たちの生活や命があってできることです。そういう認識は持ち合わせていますので、もし、個人ではどうしようもない大災害に襲われたら、あるいは人為的な攻撃に晒されたら、それに備える国の機関を保持していなければ生き残ることができません。そうした状況に備えて、国民生活を守るこれまでの自衛隊のような国の機関は必要です。決して〈丸腰〉を主張しているものではありません。念のため。
 その自衛隊が、軍隊となり、外国にまで進出して他国の戦争にかかわるとなると、性格が一変してしまいます。そこが問題なのです。これも念のため。

 ご高覧に感謝します。 
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あの友、その後 [人間考]

 1時間しかないのですが、この件、なんとかまとめることができますかねー?

 この件とは、あの友、『友よ、戦争をしない世界を創ろう!』のあの友のことです。
 去年の8月15日に埼玉新聞が金子兜太氏と森村誠一氏の対談を見開き2ページを使って特集しました。お二人とも、体験に基いて、戦争社会の再来を心から警戒している人たちです。その対談を、新聞社が大特集を組んで報道していることをお伝えすれば、今の政治の危なさが何か伝わるのではないかと思って、この日の新聞を彼に送りました。

 すると、届くと間もなく、次のメールが送られてきました。一部引用すれば話は足りるのですが、一部の切り取りは彼が厭いますので、長くなりますが引用します。

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特別対談、読みました。以下感想です。

・旧海軍の南方根拠地であったトラック島に赴任した元海軍主計中尉の金子氏の自身の戦争体験を森村氏が巧みに反政権の自説に誘導しているのがありありと分かりました。
まるで赤子の手をひねるように。共産党にも似た狡さを森村氏に感じました。以前は私の中では社会正義派の一人だったのですが、どうも化けの皮が剥がれてしまった、という印象です。とても残念です。

・ということで、この対談は95歳の純情な老人の戦争体験をうまく利用した左翼の「古典的な」プロパガンダだと思います。

・プロパガンダというのは、森村氏の主張は何ら根拠をしめしておらず、個人の感想レベルで現政権を罵倒しているからです。要は街頭デモのシュプレヒコール並。 とても冷静で公平な議論ではありません。今度の安保法制での集団的自衛権を三国同盟と同じと言っていることには正直笑えました。古いですよね。果たして何人理解するやら。
 また、ちらりと出ていた東条首相(陸相?)の戦陣訓「生きて虜囚の…」は確かに、死ななくてもいい命を死に追いやったと思いますが、この「生きて虜囚の…」は日清戦争の時の清国兵の捕虜とした日本兵への言語を絶する拷問死体を見た軍が捕虜になって拷問されたあげくに殺されるよりは徹底的に戦って死を選べと命令したことがオリジナルになっているようです。
 戦争というものは人間から情理を奪い残虐な獣にします。これには敵味方もありません。

・森村氏は日本よりも親中国のようですね。「中国の台頭を警戒して、今のうちにアメリカと組み、中国を恫喝しようとしているが」という記述がそれを物語っていると思います。
南シナ海や東シナ海などで露骨に周辺国をさかんに恫喝しているのは中国でしょ。
誰の目にも明らかなのに、逆に日米が中国を恫喝しているとは!

・この手の論は結局は自分達の国を自分達で守ろうとするか否か、自分達の選んだ政府を(監視しつつ)信じるかどうかが論の分かれ目になっているような気がします。

・以下の点については賛同しました
*戦争は未来を破壊
戦争の罪は色々あるでしょうが、この対談にも書かれているように、戦争の大きな罪の一つは人間の尊厳とともにその者の可能性や将来、そして夢を容赦なく一瞬で奪うことです。深い怒りを感じます。

 *最も残酷な餓死
日本軍の最大の問題というか罪は兵士を餓死させたことです。特に陸軍ですがこれは軍隊としては落第で恥ずかしいことです。皇軍を名乗る資格はありません。

*戦争は人類の天敵、許さぬ
全くその通りだと思います。日本は今後とも平和主義を国是として国を進めるべし。ただし丸腰ではいけません。

森村誠一氏のいかがわしさについては以下の記事を参考に添付します。記事も話2/3程度かも 知れませんが。
ヤフー知恵袋でのQAです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316314298

質問:森村誠一著「悪魔の飽食」は左翼系の捏造本ですか?
答え:
以下引用。
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 以下は長くなるのでさすがに省略させていただきます。 

 このお返事の最初の部分
《95歳の純情な老人の戦争体験をうまく利用した左翼の「古典的な」プロパガンダだ》という部分だけで、あまりにも実態と違う感想に開いた口がふさがらず、オーマイゴッド、私はもう説得をあきらめました。

 その数日後、彼から次のメールが届きました。

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先日の埼玉新聞のお礼に本を送りました。古本ですけども。
Amazonマーケットプレイス出品者「こおろぎレコード4」から届きます。

・別冊正論15 中国共産党
戦前の日本は軍部独裁の暗黒時代だったというのが私の受けた教育ですが
果たしてそうなのか、とぐだぐた考えております。
戦前の問題を解く中で一つのキーワードは当時の共産主義・コミンテルンの
世界的影響です。
この本の特集「最新研究で蘇る中共・ソ連・共産主義の戦争責任」は私の
目下の関心にフィットしました。
私も今、読んでいる最中ですが、特集の中でも
・共産主義者が主導した戦争翼賛体制
・アメリカを巻き込んだコミンテルンの東アジア戦略
・年表付き解説・日中歴史問題とは何か
はインパクトがありました。

明後日はいよいよ大注目の中共中国の抗日70周年記念軍事パレードですね。

なお不要でしたら屑箱にでも入れてください。

ではでは
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 そのうち読みますが、まだまだ読む気になどなっていません。

 その後も私の方からは接触する気が起こらず、住まいと同じく遠い存在になっていました。ところが彼のほうは、相変わらず知人の一人であったようで、いつもと変わらず「たより」や年賀状も届きました。
 そこで、『平和を願う音楽祭 in Kumagaya 』の趣意書ができた時点で、CCで送りました。すると次のメールが返ってきました。

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メール、ありがとうございます。

ご多忙、お元気な様子なによりです。

国際情勢はますます不安定な様相を呈してきています。
また、国内も週刊誌ネタでの国会質疑など野党のだらしなさが
強靱な国家(軍国化ではありませんよ)作りを阻害しています。

沖縄は宜野湾市長選挙で垣間見えたように、左翼勢力の虚構がはがれつつあり、沖縄県民の良識バネが働いたように見えます。
(以前、お書きしたように私の沖縄へのスタンスは太田中将の決別電報や両陛下の沖縄への思いと同じですが、今の沖縄県の政治情勢は全くそれらとは違う様相であると判断したゆえの記述です)

我々はいまそこにある危機を見据え現実的な対処を行っていく必要がありますね。

思想、言論での相違はありますが、今後ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
今年もお元気でご活躍くださいまし。

***********************************************

 来るを拒まず…でいきたいので、今後ともお付き合いするつもりでおりますが、しかし、こういう見方が身近に現実にあるんですな~
「強靭な国家づくり」を願う人が、意外にも多いのでしょうねぇ、そういう国家づくりにうつつを抜かしていると、全体主義の軍国主義国家になっちゃうんですよ、そうなったら、どう責任を取ってくれるのですかねー?

本日はこれまでです。取り急ぎ…
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