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日米安保依存症? [日本考]


今日は平和のための戦争展で「平和コンサート」を拝聴してきました。

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このことも書きたくてしようがないのですが、二つ前の記事に
「昨日、一昨日の拙ブログの記事に寄せられたコメントについて思うことを書き始めたのですが、何かと用事が発生して、途中で止めました。今日少しばかり続きを書いたのですが、まだ未完成で公開できません。」と書きました。その件が気になるので、今日はそちらを仕上げます。

10月5日の記事に gonntan 様から次のコメントが寄せられました。

【 他国からの侵略ということが
蒙古襲来だけであった日本。
それが、侵略ではなく占領として
72年間も続いています。
占領されているという感覚すら無く
アメリカ様々で喜々として従属しているのです。
占領されていることには気づかず
中国北朝鮮から侵略されたらどうなると考える。
勿論自由という視点から見れば
中国北朝鮮は論外ですが
従属しているという事実は無視のままで良いのか?
そろそろ本気で主権を確立しなければなりません。
それが真性保守の役割です。 】

お返しのコメントを今朝がた(6日朝)考えました。

【 gonntan さんへ
> 侵略ではなく占領として72年間も続いています。
これが日本の置かれた最大の課題ですが、周辺国に脅威を感じると、日米同盟頼り一辺倒になってしまう。
これが八割方じゃないですか?
おっしゃることは正論なんですが、全然議論に、争点に、上がってこない。
誰かが指摘しても相手にされない。
困ったことです。
戦争に負けたアメリカに守ってもらうことしか考えていない。
それでいて戦前の日本も悪くなかった、戦後レジームからの脱却とか言い出す。
それが愛国主義だと思っている。どう考えたって矛盾してますが、世論の八割が、あるいはそれ以上がそう思っている。
これが日本の現実なんですね、選挙となると、一層この問題に直面させられます。
> そろそろ本気で主権を確立しなければなりません。それが真性保守の役割です。
これが正論なんですがねぇ、程遠いですよねぇ・・・】

同じく majyo さんからも寄せられました。

【 gonntanさんが書かれていますが、本気出して主権確立ですね。
自衛隊がアメリカの指揮下にあるのに、憲法に明記してどうする!
先に主権確立してからですよ。 】

わたしのお返しのコメントは(一部修正)

【 majyo さんへ

> 本気出して主権確立ですね。
そこに問題があるのに、周辺国に脅威を感じると日米同盟様様になってしまう。
それでいて、負ける前は良かったなどと言い出す、思っている。
軍事力を強化して自力で周辺国を圧倒するようにならないと、アメリカからの独立は考えられないのでしょうね。有り得ないことですが、これが安全な道だと思っている。危険極まりないことだとは思わない。
あ〜あ、正論は山のあなたの空遠く・・・ですね! 】

身近なのに解決への道がきわめて遠いこの問題は、どう取り組めば良いのか?その後も頭から離れません。

アジア大陸の東岸、朝鮮と中国が、恐くてしようがないのですね、多くの日本人は、潜在的に。
戦後日本国憲法で平和主義を掲げ、戦争を否定し、陸海空軍その他の戦力を持たないことを宣言しましたが、それではとても安心できなくて、戦勝国アメリカと安全保障条約を結び、待遇を好くして、いてもらっているというのが実情のようです。

アメリカにしてみると、大戦後の強力ライバルであるロシア、中国の出方を警戒するためにも日本に軍事基地を維持する必要がありますし、大きな犠牲を払って手に入れた支配地域でもあるわけですから、おいそれと解放して撤退する気など毛頭ないでしょう。
そんな相手の事情を斟酌することもなく、ひたすら自国の安全のために、憲法に反するかもしれない軍事同盟を結び、集団的自衛権の行使まで容認し、軍事的な相互支援にまで関係を深めてきたのです。

一体全体、日本は、憲法に規定するように、本当に陸海空軍その他の戦力を持っていないのかというと、そうではありません。ご承知のとおりかなりの装備を有する自衛隊という国防組織を持っています。これが各国の軍事力に比べて使い物にならない程度の気休めにすぎないのかというと、決してそうではなさそうです。

クレディ・スイスの世界軍事力ランキングによると、アメリカ、ロシア、中国に続いて世界4位と見られています。軍事費の額ではフランス、イギリスに続いて8位(2016年)となっています。どの程度適格に実態を反映しているかはわかりませんが、憲法で謳っているほど、日本は決して戦力に値するものを持っていないわけではないのです。この程度の、あるいはこれ以下の備えで、自主独立を保っている国は、世界にたくさんあるのです。

なぜ、何か有った時、米軍が守ってくれないと、一も二もなく侵略されてしまうというひ弱な意識に基いて、対米外交その他の政策を決めなければならないのでしょうか?軍事力の弱さを日米条約で補おうとしているというよりは、米国に追随する意思決定が先にあって、自国の防衛力の弱さを国民に刷り込んでいるようにも見えます。

どこの国もそうでしょうが、建前と本音があります。日本は、平和主義を掲げ、国権の発動たる戦争を放棄し、陸海空軍その他の戦力を持たないと憲法で宣言しています。この建前のもと、しかし、いつ何時不心得者が侵略してこないとも限らないということから、国権の発動たる戦争のためではなく、国民の自衛の備えとして、ほぼ戦力である自衛隊を持っています。建前には反するかもしれませんが、国際社会に存続するための、譲れない本音とも言えるでしょう。

必要最小限の備えはしつつ、人類の繁栄にとって脅威となる戦争をなくしていこうとする理想を建前として、世界をリードする特色ある国を営んでいくことがなぜできないのでしょうか?これで不安なのは、為政者や一部の知識人が不安を煽り、日米同盟の必要性を当然のように刷り込んでいるからではないでしょうか。

不安におびえる人たちに「9条を守ろう」と言ったり、「9条があるから」と言ったり、「安保法制は憲法違反だからダメだ」と言ったりしても聞く耳を持たないのではないかとの思いが飛来します。彼らにしてみると、「平和憲法が、憲法9条が、日本を守ってくれるのか?」と本気で言い返してくるでしょう。平和憲法は無用の長物にすぎないのかもしれません。早く捨ててしまいたい、邪魔な物なのかもしれません。

何が安全を、何が安心をもたらすかといえば、どこの国が攻めてきても、防戦でき、報復できるだけの軍事力を持つことだと彼らは思っているのかもしれませんが、それは軍拡競争を招くだけで、いつになっても安全と安心に至れない道です。抑止力と称して、大量の核兵器と弾道ミサイルを保有し合うだけで、むしろ不安におびえる日々となるだけです。

安全のためには、敵を作らないこと、周囲を刺激しないこと、多方面にわたって交流を深め、信頼関係を築くことが大事です。そう考えると、9条を持つ日本国憲法は、たいへん意義深く、平和外交の柱となるものです。これを厳守することが、相手国の信頼を得る道であり、戦争の脅威を減らす確かな方策なのです。
憲法9条にはそういう意味があるのだという、原点に立ち返った説明が、ことあるごとに必要なのではないでしょうか。それに納得してもらってからでないと、米軍に帰ってもらう話はとても現実味を帯びないような気がした次第です。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。



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どうしてこんなに右が強いのか? [日本考]

以下の記事は直接選挙にかかわることなので、昨日、「ポスト自公政権・・・」のほうに上げました。でも日本の大きな政治の流れにかかわることでもあるので、こちらにも上げておきます。
***********と***********の間はまったく同じものです。

***************************************************
むかしむかし、高校の先生が言ってました。
「若いうちは、引っ張ってレフト線とか打つんだけれど、年とってくると、どういうわけかライト前とか狙うようになるんだね」
野球にかこつけた思想の話ですが、今は青年・壮年の威勢のよい人がライトオーバーを打っちゃっているようです。

さて、この選挙の流れ、小池ブームに翳りも見え、民進党壊滅も枝野氏によって回避され、市民運動・左翼政党の側から見て持ち直しているように見えますが、実はまだ相当にピンチなのだと思います。日頃楽天家と自認している小生ですが、見通しはかなり暗いと感じています。

政局が目まぐるしく変わり、日々情勢が変わっているように見えますが、実は、日本会議系の人たちが作り出している大きな流れがただ着々と進行しているだけのように見受けられます。

まずは岸信介のお孫さんがその気になり使えたので使いました。権力を集中させて、国会よりも閣議決定を優先させるという手法で、憲法から逸脱する政策をいろいろ法制化してきました。

しかし権力の集中が権力者の奢りを産み、森友・加計などの不祥事が起こるようになりました。これを正すには、対抗馬を立て競わせる必要があると見たのでしょう。

都知事選に出た小池氏の人気が使えそうだと見て、現政権批判の立場からの新党設立、政権奪取構想の展開を誘導してきたように思えます。

既存の自民・公明路線か、一見斬新な希望の党、維新の党で行くのか、政権選択を選挙民に託す!かのような方向で進んでいるように見えます。しかし、どっちに転んでも、日本会議系の人たちから見れば、痛くも痒くもありません。強いて違いを挙げるとすれば、再来年の消費税をどうするかぐらいのものです。

通常なら保守乱立で、革新・リベラル系が当選するチャンス!でもあるわけですが、今の状況では、この保守二極が強すぎます。ある人(gonntan様)のブログに依れば、今の小選挙区比例代表並立制では
【4分の1の得票で7割6分の議席が確保され、4割8分の声はまったく届けられていない】とのことです。この選挙制度の壁もあって、そちらの票は、また無残にも死に票に終わりそうです。

一体どうやって、いつの間に、日本会議系の人たちはこうまで政治力を着けたのでしょうか?それは、彼らが地道な草の根運動を40年も積み重ねてきた結果だということは、最近物の本で知ったことですが、ではどうして、彼らの思想を受け入れる人たちがこうまでたくさんいるのでしょうか?

彼らの思想や問題点をよく知らないということが、一つはあるのだと思います。この点は、マスメディアの報道に問題があると言えるでしょう。
それから、思想や政策は、「エライ」人に任せておけばよいという、無関心従順派が多数いることも考えられます。これは教育の問題でしょうか?

この人たちは、いわば仮性シンパです。もちろん真性の人もいるでしょう。自分たちの先祖が国としてやってきたことを、誤りだったとしてばかり受け入れられないという風潮が、戦後何十年も立って戦争の痕跡が薄れてくると、あるいは起こってくるのかも知れません。

軍事大国化し、大陸に進出、戦争への道を歩んだ当時の日本の社会にも、それなりの理由があり、すべてが間違っていたわけではありません。是は是として捉えることは当然のことです。しかし、非は非です。目をつぶってはいけません。

まして、あれから七十余年もたち、世界はますます戦争などできなくなっているのです。始まったらどういうことになるのか、自分の国も相手の国も。少し想像力を働かせれば容易に分かることです。

過去に戻すことで解決することは、まずないのではないでしょうか。未来を、これからのことを考えて道を選ぼうではありませんか。

なんだか演説調になりましたねぇ、ご清聴ありがとうございました。

***************************************************

おまけの写真は夕顔の花です。

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本物の花は綺麗だな~
政界の百合は、汚いし、毒さえ出してるなぁ・・・

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民主主義か英雄礼讃か? [日本考]

今日は疲れました。何をしたかって?
建物裏の敷地の隙間で大きくなってしまった欅の枝おろしをやりました。隣地が駐車場で、いつも車が止まっていて、枝おろしをする機会がなく1年半くらい放置してしまったような気がします。昨日、そこを駐車場として使っている近所の自動車修理工場に、事情を話して、スペースを確保してもらっていました。
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梯子が掛けてあるでしょう、あれが、真ん中で2.1メートル、全部で4.2メートルの梯子ですから、木が大きくなりすぎました。

1時間後です。届く範囲の枝をおろしました。落とした枝と葉を梯子の上から写しました。右側がブロック塀です。
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木はこんなふうになりました。
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無理すればまだ落とせるのですが、まずは切った枝葉を処理してからと思い、60㎝ぐらいに切って束ねる作業に取り組みました。
抱えられる程度の束を2束作ったところで、昼飯としました。
午後も3時ごろから2時間ほど取り組み、建物からはがした蔓も含め、5束できました。くたびれました。これを車で運び、更なる枝おろしは、またの機会としました。

そんな作業の中で、欅に実があることに気がつきました。初めて見ました。
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大きさはパチンコの玉ぐらいです。
さっきネットで調べたのですが、確かに欅に実はなるものの、もっと小さく、形もいびつとのことです。となると、欅とばかり思っていたこの木は欅ではないのかもしれない・・・謎が一つ増えました。


さてさて、そんな作業を、蚊に刺され、汗をかきかきやりながら、思いました。
どうも面白くない、10万人の民の声を無視しておいて、あのオバはんが党を作るとあんなに騒ぎ立てる。さあ、いつ都知事を辞めて衆議院選に打って出るかなんて、当人が何も言わないうちにわさわさ、ざわざわしている。

テレビ局というのは、NHKは特殊だから政府の意向が反映されるかもしれないが、民法は視聴者の関心を推察して番組を作り報道しているに違いない、とすると、民が英雄の登場を待ち望んでいるということか?自分の考えよりも、時の人が何を考え、どうしようとしているのか、そのことのほうに興味があるということなのか?

民主主義というのは、そんな付和雷同ではうまく行かないぞ~。
あのオバはんは、女性では珍しく出世欲があって、機を見るに敏で、決断力があり、頭も良さそうだけど、国政に持っているビジョンが、時代と日本の置かれた状況に合ったものかどうかは、まったくわかりませんぞ。そういうことは、各人が考え判断しないといけないことで、人気者の言うことを鵜呑みにして、ただ後を着いていけば良いってものじゃありませんぞ。ねぇ、民進党のみなさんも。尻馬に競って乗るようでは、政治家とも言えません。

本日は、そんなことをちらちら考えながら、枝おろしをやりました。


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最悪の北朝鮮政策 [日本考]


昨夜寝床スマホで次の文を途中まで打ちました。残りはさっきPCで・・・

アベ政権は、原発事故の防止対策を怠ったこと、教育基本法を改変したこと、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法を作ったこと、森友問題で「私か家内が関わっていたということなら、潔く職を辞す」とまで言ったのに何ら責任を取っていないこと、などなど、これまで数々のよからぬ政治をやってきましたが、今やっている北朝鮮を巡る政策は、国民にとっての直接の害の可能性という点では最悪かもしれません。

北朝鮮は核保有国になることを国策として、ミサイル発射や核実験を国際世論を無視してやり続けている国ですから危険な国です。それは間違いないことですが、その国とどのように接することが日本の国益にかなうことなのか、それをまったく取り違えています。

北は、日本を狙えるミサイルは既に多数保有しています。日本列島を飛び越えてアメリカ本土まで核爆弾を運ぶことすら可能になりかけています。これ以上の核やミサイル技術の開発を止めさせることが、世界の安全保障上の課題になっています。

それも間違いのないことです。アメリカはこれ以上開発を続ければ国を完全破壊すると脅しをかけています。アベは日本の総理として「今までの対話重視が何ら効果なくこのような結果を招いたのだから、圧力をかける以外ない、アメリカの姿勢を全面的に支持する」と表明しています。

なぜ、ここまでアメリカの強硬姿勢を支持するばかりでなく、アメリカ以上に軍事圧力路線を採ることを主張するのでしょうか?なぜ危険な国に、真っ向立ち向かってしまうのでしょうか?

アメリカの宣告は、アメリカの判断で、アメリカと同盟国が一斉に北朝鮮を軍事攻撃することがあり得ると明言したのです。ということは、北朝鮮にしてみれば、まさに国の存亡をかけて、この事態を回避する挙国一致の行動をとることを考えるしかないのです。

それが「軍事開発をやめる」という圧力をかける側の思惑通りならば良いけれど、脅しに屈しない強気一点張りでここまできた国です。その選択肢を選ぶことを期待することは楽観的に過ぎます。となると、開発してきた軍事力で、先制攻撃させないための先制攻撃をするか、攻撃を受けた場合には、即刻応戦のミサイル発射をするでしょう。その場合には、死に物狂いですから、持っているものは何でも使うでしょう。つまり核による報復も考えられます。

その場合の目標はどこか、アメリカ本土も狙うかも知れませんが、アメリカと一体の、あるいはアメリカ以上に敵対的な日本を狙うことは大いにあり得ることです。韓国も大変なことになります。そういう恐ろしい事態が起こり得ることを想定して、あのような立場をとり、あのような発言をしているのでしょうか?そんな事態になったときどのようにして国民の命と生活を守るつもりなのでしょうか?

このように大きなリスクをかけてまで、北朝鮮を追い込む路線をひたすら進むのはなぜなのか、あまりにも合理性がないことなので、あの人の性向を踏まえて推察してみます。

まず国民が受けるかもしれない被害を過小評価していると思われます。大都市上空で原爆が炸裂することを、日本海側に集中してある原発がミサイルなどの攻撃を受け破壊されることを、ライフラインや交通網が寸断され、経済生活が乱れることを、戦時体制下におかれ、国民の自由が奪われることなど国民が遭遇せざるを得ない不幸を、大したことではないと思っているのです。

口では違うことを言っていますが、腹の中は、大事なのは国家であって国民ではないと思っている人です。国家の意志(そんなものはありっこなくて、為政者の志向に過ぎないのですが、そう思い込んでいるのです)により起こる事態に国民が全力で対処するのは当然のことだと思っているのです。国家主義者なのです、あの人は。

リスクは過小評価する一方、狙いは大きいのです。あの国の存在が忌まわしくてしょうがないのです。一刻も早く取り除きたい。その願望においてあの人に勝る人は、世界の首脳の中にいないでしょう。だからこそ、あの国連での演説で世界が驚愕するのです。北朝鮮問題ではあの人の理性は働いていない、感情で動いていると見るべきでしょう。

ではその望みは達成できるのかと言えば、ことはそんなに簡単にいかないことはすぐに分かります、普通の頭なら。あの国の位置からして、中国、ロシアが、親米や親日政権ができることには神経を尖らせているのです。日本も含めて東アジア中立地帯ができるなら別ですが、日米韓の軍事同盟が一方的にあの国を軍事制圧し思いどおりにすることを黙って見ているはずがないのです。

感情論で国をいたずらに危険の淵に追い込んでいる現政権のやり方で、支持率が上がっているという現象はなんなのでしょうか?見守る国民の側にも似たような感情論があるからなのでしょう。ここはマスコミやコメンテイターが、現政権の採っている道の危険性を、もっとはっきりと報道する必要があろうかと思います。現在は流れ星が落ちる程度の危険性でJアラートを鳴らしていますが、爆弾を積んだミサイルの標的になるようなことになれば、訳が違います。事の危険性はまったく別次元となりますから、危険な政治は止めさせないといけません。

そんなことを切に思う今日この頃です。

おまけの写真は、近所のお寺さんで撮らせてもらいました。萩が咲き、キンモクセイが香る季節になりました。
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以上です。お付き合いいただきありがとうございました。
そうそう、久しぶりで時事放談を見ました。問題点を総ざらいしてました。カメラに収めましたので、『受け皿』のほうで紹介したいと思います。時間があればの話ですが。
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「自虐史観?」だれも自虐なんてしてませ~ん! [日本考]

先日、majyoさんが「史実、現実を直視できない人たち」
http://majyo1948.blog.so-net.ne.jp/2017-09-03
で取り上げていましたこの記事

【 東京都慰霊堂のある横網公園で、極右保守の女性団体の慰霊祭が9月1日に行われ、団体代表が
「私たちの先祖があたかも6000人の朝鮮人を虐殺したかのような
事がまかり通っている。この真実の石原町犠牲者慰霊祭を契機に、反日日本人の手による自虐史観を払拭せねばなりません。」
そして過去の南京大虐殺、従軍慰安婦問題にも触れている、捏造であるかのように。(以下省略)】

「自虐史観」という言葉が気になって仕方ありません。そこで、この言葉の沿革を調べて見ました、少々。Wikipediaには次のようにありました。

【沿革[編集]

詳細は「歴史教科書問題」を参照

秦郁彦は、1970年代に入った頃に、まず「東京裁判史観」という造語が語義がやや不分明のままに論壇で流通し始めたとしている。

冷戦後、日本において日中戦争・太平洋戦争などの歴史を再評価する流れが表れ、自由主義史観を提唱した教育学者の藤岡信勝などによって「新しい歴史教科書をつくる会」などの運動が活発となった。「つくる会」は、主に近現代史における歴史認識について「自虐史観」であるとし、いわゆる戦後民主主義教育は日本の歴史の負の面ばかりを強調し、連合国側などの立場に偏った歴史観を日本国民に植え付け、その結果「自分の国の歴史に誇りを持てない」、「昔の日本は最悪だった」、「日本は反省と謝罪を」という意識が生まれたと批判した。

秦は「自虐史観」も「東京裁判批判」も語義は曖昧だとし、こうした主張の主力を占めるのは、渡部昇一(英語学)、西尾幹二(ドイツ文学)、江藤淳・小堀桂一郎(国文学)、藤原正彦(数学)、田母神俊雄(自衛隊幹部)といった歴史学以外の分野の専門家や非専門家の論客であり、「歴史の専門家」は少ないと主張している。

2014年(平成26年)1月には自由民主党が運動方針案に「自虐史観に陥ることなく日本の歴史と伝統文化に誇りを持てるよう、教科書の編集・検定・採択で必要措置を講ずる」と明記した。】

この言葉は、1970年代以降、それまでの歴史観を批判する言葉として用いられるようになったのです。日本人にとって不利益になるような歴史認識に対して「その歴史観は間違っている。自虐的だ」と言うのです。
「日本民族の立場として、日本民族が選んだ国の歩みとして、全ての結果を評価しなければならない。歴史はどんな立場で見るかによって正邪が違うのだから、負けたことを前提に、勝者の側から見た歴史観を受け入れ、過去を懺悔しようとする態度は間違っている」という主張です。

確かに、過去の出来事をどう見るかは、見る人の立場によって異なります。つまり主観的にならざるを得ませんから、この主張は、正論のようにも見えます、一見。
見えるどころか、彼らはこの論理こそが正しいと信じ込み、日本軍が周囲や自国民になしたことの非人道性を指摘する歴史観は全て「自虐史観」として排斥しています。自分たちと違う歴史観に対して貼り付けるレッテルとして、この言葉を使っています。

しかし、この論理は本当に正しいのでしょうか? このように、この論理をナギナタのごとく大きく振り回して良いのでしょうか? 実はまったく良くありません、まったく不当なことです。

理由は簡単です、2つ挙げておきます。

一つは、脈絡のある歴史観と、歴史的事実の違いです。歴史観は、人それぞれです。しかし歴史的事実はひとつです。時の経過で真実が分かりにくくなっているとしても、立場で大きく変わるものではありません。証人がいて、証拠もあることです。
事実の認定においては、立場や考え方を持ち出すものではなく、証人や証拠に謙虚に向き合うものです。そうして確認された事実であろうと思われることをつなぎ合わせて、その因果関係などを解釈する段に至ると、主観が当然のごとく入った歴史観となるわけです。
立場や主観が歴史的事実を変えるようなことはあるまじきことです。そんな態度が見受けられるようだと「歴史修正主義」と言われることになります。

もう一つは、「自虐史観」の「自」です。何を自分だと思うかです。普通は自分個人です。交通事故などで、相手の言い分どおり、みな自分が悪かった、自分が償えばいいのだろうとする態度をとるなら、それは自虐的と言えるでしょう。しかし、国のなしたことは自分のなしたことと、日本中の人が思うでしょうか?
日本中どころか、大多数の人はそう思っていないのです。民主主義が不完全だった、と言うか、民主主義ではなく、藩閥政治から独裁的な軍国主義に移行していったのです。国政への参加意識は薄く、事実、国の決定に異論をはさめば粛清された時代です。
そんな状態でしたから、終戦を喜び、戦後に期待を寄せた人が多かったのが実情です。つまり自分の国がしたことでも、決して国民が意気投合してやったことではなく、不承不承の戦争継続だったのです。
ですから、戦時中になしたことに対しては、歴史認識以前に、当時から、同じ日本人の間で批判はすでにあるのです。

そういう見方を、自虐的という言葉で批判しようとすることは極めて傲慢であり稚拙でもあります。日本人である以上は、みながあの戦争を肯定しなければいけないと思い込んでいること自体が、すでに強烈な思想の強要なのです。

戦前が良かったと思う人がいても構いません、実際良かった面もないわけではないでしょう。しかしそれが当り前の日本人の姿で、そうでない人は自虐史観の持ち主だとするのは、理性的な人に対する冒涜であり、理性的になり得ない人の思い上がり以外の何物でもないでしょう。

自由民主党が2014年の運動方針案に「自虐史観に陥ることなく日本の歴史と伝統文化に誇りを持てるよう、教科書の編集・検定・採択で必要措置を講ずる」と明記したそうですが、どうしたんでしょうねぇ、天下の公党が、頭が回らなくて、思い上がりばかりが強くなっちゃったんですかねぇ。あの人気者の小池都知事さんも似たようなものなんですよねぇ。ちょっと考え直したらいかがですか・・・

本日のメッセージは以上です。おまけの写真も用意できませんでした。<(_ _)>

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憲法違反は許せません、もう一度考えよう [日本考]

 もう10時になるので、あまり多くは書けませんが・・・
 最近 majyo さんが毎晩のように大事なことを書かれています。
 一昨昨日は、「自虐史観」について歴史を正視している者に対して、正視できない者が何を言うかというようなことを書かれていました。たいへんもっともなことで、このブログでも近々取り上げなければと思いました。
 昨日は、改憲NOの署名運動が始まったこと、日本がすでに憲法違反をしてアメリカとの同盟を深めているため、北朝鮮の核やミサイルの脅威にさらされていることを書かれていました。

 この問題は深刻です。周知のとおり、北朝鮮は、国の存亡を懸けて、核兵器とミサイル開発に邁進してきました。アメリカ本土への攻撃力がどの程度かは未知数ですが、日本に対するそれは、間違いなくとてつもなく大きなものです。アベ総理は「国民の暮らしと安全は政府が責任を持って守ります」みたいなことを言っていますが、ミサイルが飛び交う事態になったときに、守りようがないことは明らかです。Jアラートなるものを鳴らして警戒を促すようになりましたが、鳴らされたところで、2~3分で、なんの備えができるというのでしょうか? 頭を抱えて伏せていれば暮らしと安全は守られるのですか?

 今の米朝関係は、一触即発、しかも大爆発、の緊張関係がどんどん深まっているのです。始まれば、最も楽天的に考えれば、「アメリカの攻撃力が圧倒的で、短期間に北朝鮮の脅威を取り除くことができる」かもしれませんが、北が危険を察して先に攻撃を仕掛けてきたり、後攻でもミサイル発射の余力がある限り、原発を五十何基も抱え、高度な文明生活を営んでいる日本は、たいへんな被害を受けることは間違いありません。米朝のミサイルや空爆による戦争だけで終わればまだしも、隣接する中国やロシアがただ黙って見ているはずがありませんから、核兵器が使われるようなことにでもなれば、どんな世界大戦につながってしまうか、測り知れません。

 なんでこんな緊張状態に置かれなければならないのか?おかしなことです。日本の憲法は、その前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」たのです。そして九条において「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」としたのです。

 日本政府は、この憲法を少しも守っていません。「戦争をしない、軍隊を持たない」ということと、他国の不測の侵攻に備えて防衛力を持つことは矛盾しないと考えて自衛隊を持つことになりました。どこの国も丸腰では領土・領民が守れませんから、これはよしとしましょう。侵略を受けたときの個別の自衛権は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」とは別物で、ありと認めることにしましょう。

 しかし、これがどんどん拡大解釈されて、日本の平和は「日米同盟」で守られていることになり、その同盟国が攻撃を受けたときには、これを守らないと日本の存亡に関わることになるとなり、つまりは集団的自衛権を行使することになってしまったのです。

 もともと自国が侵略されたときに自衛するのはやむを得ないことだとしたことが、同盟国が攻撃を受けたときには、その戦争に参加するとなったのです。こういうのを「国権の発動たる戦争」と言うんじゃありませんか?またその同盟国は軍事演習と称して「武力による威嚇」をしたり、実際に武力の行使もしたりしているのではありませんか?
 そこと一体となったことが、日本をこんな緊張下に置いてしまったことにほかなりません。まるきりの憲法無視、憲法に反する政治がこの事態を引き起こしているのです。

 憲法に従っていれば、武力による威嚇とは無縁なのです。正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するのです。米朝の間に入って、平和裏にことを収めようと、仲介の役が果たせるのです。東アジアの非核化に向けて、関係国を説得できるのです。

 憲法無視、憲法に従わない政治の非を、もう一度考え直し、マスコミを含めて大合唱し、歯止めの利かないおかしな政治は断固拒否、即刻政権の座から降りてもらいましょうよ。

 本日のメッセージは以上です。おまけの写真は今日はありません。<(_ _)>
 
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地殻変動が起こりつつあるのか? [日本考]

今日は関東はあまり温度は上がらないだろうという予報に反して暑い1日でした。 夕方少しばかり時間ができましたので、できたら更新します。多くは書けません。 話題は、先日、近所に住む友人が、下の朝日新聞の記事の切り抜きとネットで拡散され話題になったという灘中校長の文章のプリントしたものを持ってきてくれました。その件です。 記事は一週間前で、ネットで話題になったことを紹介したものですから、ご存知の方も多いかと思います。

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かつては、歴史教科書を見直す動きが出てきて、それまでのものは自虐的な歴史観だとして、新しい視点の教科書が作られ、学校が採用すると話題になったものですが、今や、それが逆転してしまっていることが、この騒動でわかりました。慰安婦問題の記述のある教科書を採択した中学校が議員から問い合わせを受けたり、抗議のはがきが数百枚届いたりしたのだそうです。

こうした運動を推進する思想的背景は日本会議に象徴されるグループの人たちの考え方です。菅野完さんの書かれた『日本会議の研究』を今読んで研究させてもらっているところですが、この人たちの考えは、まさに戦前礼賛です。戦争に負けた結果、戦前に目指していたものが頓挫し、進行方向が戦勝国によって90°(180°?)曲げられてしまったという認識です。

憲法も、大日本帝国憲法が日本の憲法で、今の日本国憲法は押し付けられた仮もので、真の憲法とは認めていないようです。ですから改憲というより、反憲が彼らの本意のようです。つまり現憲法に従う気がなく、無視して、従来の、戦前の政策を実行すればよいという考えのようです。

アベ政権の憲法無視の閣議決定、国会運営はまさにそれです。 アベ総理の独裁の後ろには、いつの間にか支持層を広げたこうした戦前を礼賛する人たちの思想背景があったのです。 しかし、それで大陸に進出し、中国やイギリス、オランダなどと戦い、太平洋でアメリカと戦い、勝てる見込みがなくなっても「いまに神風が吹く」と特攻隊を組織し、国土が空爆を受けても「一億玉砕、本土決戦」と戦争をやめなかったあの日本の政治に反省がないとは?、あの続きをやろうとは?、これいかに? というしかありません。

もう一度冷静に考え直しましょう、過去が全部悪かったわけではないし、全部良かったわけでもないのです。 尻切れですが今日はこの辺で。

撮れました、ツクツク法師、やっと一匹。
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後は公園のお花です。名前は知りません。<(_ _)>
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インパール作戦に思う [日本考]


インパール作戦(1944年3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。補給線を軽視した作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。Wikipediaより)では何万という兵に言語に絶する悲惨な死に方をさせることになりました。同胞の民の命を、今生の体験を、一顧だにせず、ただ国家の戦略の駒として無惨にも使い果たしました。

このころの作戦本部の、あるいは指揮官の頭にあるのは、人の持つ精神的能力を知・情・意に分けるなら、そのうちの、勝とうとする意欲だけだったと言えると思います。
人に備わった知と情が麻痺していたと言えるのではないでしょうか。
勝つために知が働いていない。生ある生身の人間に対して情が働いていない。

「意」だけでは良い結果が得られないばかりか、人として大変間違った行いをしてしまうという、この作戦だけでなく、第二次大戦を遂行した大本営のやり方は、そういう悪しき例ではなかったかと思います。

731部隊の人体実験もそうです。化学的知見を動員していますから、知は働いているとしても、人としての情が、まったく麻痺してしまっています。
治安維持法で、共産主義者や文化人を弾圧しましたが、これは、日本社会の知と情を機能させなくしたものです。

そんな社会は、戦争に勝つという目的すら達成できないのです。
そればかりか、「一億玉砕」などと言えば、相手国からも、日本人=戦う兵、と見なされ、東京大空襲をはじめ、市街地が無差別に攻撃されることにもなってしまうのです。広島、長崎への原爆投下の口実にもなってしまったのです。

もちろんそういう判断の下、無差別に爆撃をした米側にも問題がありますが、一億の人間の有する精神力の知と情が、麻痺状態となり、戦争に勝つことのみを願う意志の塊となってしまうということは、豊かであるはずの人間の精神を自ら放棄して、鬼畜となってしまうという愚かなことなのです。

そんな方向に社会を向かわせてはなりません。

以上が本日のメッセージです。

本日のおまけの写真は、久しぶりに顔を出したお日様にカメラを向けてみました。ただ白くなっちゃったので、サンバイザーを通して再挑戦しました。ファインダーは覗きませんでしたよ。

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政治改革を急がねば、政治後進国日本! [日本考]

 8月6日、広島原爆の日に「統合失調症、日本」という記事を書きました。唯一の被爆国で、毎年、核兵器の非人間性を世界に訴える式典を行っている日本なのに、その政府は、国連でようやく採択された「核兵器禁止条約」に参加していないというちぐはぐさ、足並みの乱れを指摘したものです。

 なんでこんなにバラバラなのだろう、まとまりがないのだろうと思うのです。ばらばらと言えば、あれだけの被害者を内外に産み出した悲惨な戦争の評価も、まとまっているようで、実はちっともまとまっていないのです。これについては、後日改めて書くことにします。
 なぜまとまらないか、なぜ、まとまらないまま世界に情報を発信して平気なのか、そこが問題だと思うのです。

 その答えの一つとして、6日の記事では「島国根性」を挙げました。島の中で支配的地位に着くことが人生のテーマになってしまっていて、外の世界に対して自分たちがどういう存在なのかを考えることが、二の次、三の次になってしまっているのではないかと書きました。日本は敗戦国で戦勝国が厳然と存在しますから、そこに取り入ることが支配的地位に着く手っ取り早い方法です。そういう処世術で人生を渡る人にとっては、多くの国民の願いなど汲み取る必要がないのです。「非核三原則」とか言って、適当に納得させておけばいいのです。それも、最近は核の傘に入っていることを明言し、それ故、禁止条約には参加できないという態度になりました。

 いい加減な人たちです。自分たちが日本を代表する政府で、日本国民の意志を取りまとめて政策を立案し施行しているという認識がまったくないのです。
 あるのは、自分たちはこの島の支配者で、選挙で支持を取り付けるために玉虫色のことをいろいろ言うが、議員になって議会の過半数を取った暁には、自分たちの思うことをバシバシ法制化して、国民を従わせればよいという思い上がった考えだけなのです。

 自民党の国会対策関係の人たちを見ればよくわかります。いかに自分たちに都合よく議会を運営し、都合のよい結果を早く出すかということしか考えていません。もう、見るからにそういう顔をし、そういう発言をしています。野党や国民の疑念など、取るに足りないことで、相手にしていないという風情です。これでは、政府のやることは、いつでもカタバイ飛行です。

 議員があれではなあ、弱ったものだと思うのです。そう言えば、日本の政治家というのは、みな、ああいう素養を持っている人たちではないか、つまり、自分や、自分の仲間に都合のよい結果を導き出す達人ではないかと思うのです。そういう人たちの中で、もまれもまれて国会議員にまで上り詰めるのですから、みな、要領のよい人たちです。
 要領がよいとは、よい結果が出たときには自分の手柄を強調し、負の結果が出たときには、その責任はなるべく負わないようにする、そういう才能に長けている人たちです。そんな人たちが集まって政治をしている、これでは日本国はよくならない。それはあまりにも目に見えています。

 困ったものです。どうすりゃいいのさ、思案橋・・・

 今朝、ファルコ84さんが8月12日に書いた「デンマークの政治を見習いたい」という記事を遅まきながら拝読したのです。
 http://falco84.blog.so-net.ne.jp/2017-08-12
 するとそこには、
【 デンマークの国会議員の年収は国民平均所得の750万円で大卒よりも低いそうだ。
地方議員に至っては無給のボランティア!
つまり政治で甘い汁を吸おうとする金儲けのための政治家などはいないということ。
対して日本の議員は3200万円、この例にならえば450万になり、そうすれば庶民の気持ちも分かるようになるはず。
デンマークの選挙制度は政党に投票する比例代表選挙のみ・・・ 】 とあったのです。

 目から鱗です。日本は政治家、つまり議員の報酬が多過ぎるのです。多いから要領で議員になろうとする。我欲が強く要領のよい者の働き場が政治の世界ということになります。これではよい政治は期待できません。
 一方、デンマークでは、人のために、デンマークのために、世界の平和と発展のためにアイディアを持つ人が議員を目指す、あるいは人の推薦を受ける。そういう人たちが政治の世界で活躍する。

 政治の世界から何が産み出されるか、両者の間には雲泥の差があるでしょう。日本は政治制度が悪すぎませんか、遅れすぎていませんか?制度を変えないと、いつまでも無益な国会質疑が続き、国民の意思を反映しない法律ができ、場合によると憲法まででき、与党一派の都合のよい政策ばかりが実施されかねません。

 政策の立案や調査・研究などの政治活動には、平均所得以上の費用がかかるのは明らかですが、この点は、政党交付金などの公的資金が、使途を限定したうえで利用できる制度があればクリアできるでしょう。

 政治改革の必要性を痛感しました。

 本日のメッセージは以上です。

 以下は昨日の灯篭流し。小雨にも負けず行われましたので、市内を流れる星川を、川下から灯篭の流し元まで上ってみました。

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 これは川下を望んでいます。流した灯篭について歩いて行っています。

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 いよいよ流し元です。
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 トリミングします、風情があるので。
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 慰霊の設備が調えてありました。
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 72年前の8月14日から15日にかけて空襲を受け、熱さのあまり川に入った人がたくさんいたそうです。そこに焼夷弾が落ち、油が広がり、火の海となって多数の犠牲者が出てしまいました。お線香を上げて、謹んでご冥福をお祈りしました。

 終りまでお付き合いいただきありがとうございました。
 ファルコ84さん、よい記事をありがとうございました。

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統合失調症、日本 [日本考]

 今日は8月6日、広島に原爆が投下された日です。

【 広島は6日、被爆72年目となる「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では午前8時から平和記念式典が開かれ、広島市の松井一実(かずみ)市長が「平和宣言」を読み上げた。7月に国連で採択された核兵器禁止条約に触れ、日本政府に「核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求めた。一方、続いてあいさつした安倍晋三首相は、条約に言及しなかった。】朝日新聞デジタルより

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 あのNHKも、国連で中満泉事務次長が、被爆者の不断の努力を結実させようと粘り強く交渉を重ね、核兵器禁止条約の成立に尽力したことを伝えました。一方、アメリカの核の傘の下にあることから、この条約に参加しなかった日本政府の対応を非難めいて伝えていました。

 日本政府は、国連での核兵器禁止条約に、アメリカの核の傘に入っているからという理由で参加しませんでした。しかし、戦争での唯一の被爆国である日本は、被爆地広島と長崎で、原爆廃絶を訴える平和式典を、内外の要人を招き、72年間欠かさず行ってきました。一般国民の大多数も、この言語を絶する被災を共有し、同じ思いで8月6日と9日を迎え、核兵器の犠牲者が再び出ることのないことを祈ってきました。

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 こうした国民の思いとは裏腹に、政府は日米安全保障条約を結び、万一日本が侵略された場合には、アメリカの核兵器によって報復するという関係を結び、それ故、核兵器禁止条約には参加できないという政府の見解を内外に示しました。

 日本という国は一体何なのだ?というのが素朴な疑問です。どう見ても二律背反です。『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を書いた矢部宏治さんが、同書の冒頭(13頁)に「日本の政治家や官僚にはインテグリティがない」という見出しで「人格上の統合性、首尾一貫性」がない人間を、アメリカ人は最も軽蔑していると書いていたことを思い出します。

 よくこういう矛盾したことを平気で表明できると思います。通常は、日本はどういう国として、どういう国の在り方をめざして歩んでいくか、国民の意思を妥当なところに統合して、その総意を背景に国が営まれていくものです。日本はそれがまったくなされていません。

 敗戦国ですから、傀儡政権が日本国民をだましながら統治しているという面もあるかもしれませんが、それだけではないような気がします。統合ができていないことを恥ずかしいと思わない神経があるような気がします。

 人が集まれば、考え方は様々です。多様性があるのは当然のことで、意見がまとまらないことはよくあることです。内輪もめもあります。そのうちの議会の比較多数派が政府を作り、その意見が国の見解として示されます。外から見たらまったく支離滅裂でも、一向に構わない。外から全体としてどう見えているのか、全体としてこの国がどこに向かって歩もうとしているのか、そういうものが見えなくてもまったく構わない。国を牛耳っている一握りの人の意見で国が動いていく。それでいいと思っているのです。

 民主主義というのが分かっていないという言い方もできますが、そういう理性的な問題以前に「島国根性から未だに脱け出していない」という見方もできると思います。
 島国というのは、外国が遠いので、そこが一つの世界なのです。世界にはいろいろな立場の人がいます。色々な意見があります。世界をまとめる必要はないのです。その中で、自分の立場を高くすれば、自分の意見を優先させれば、それでいいのです。

 島の外が、世界が、見えていないのです。世界の中で日本がどうあるべきか、そこに考えが及ばない。
 日本の中で支配者になればいいのです。立身出世をして、**事務次官になれば、国税局長官になれば、政治家ならば**大臣になればいいのです。いくら他の多くの人が核兵器廃絶に熱心に活動していようと、いくら日本が唯一の戦争被爆国であろうと、いくら外国の人が異様に感じようと、そんなことはどうでもいいのです。「日本は、支離滅裂、どうなってんの?」と世界中が奇異の目で見ても、恥ずかしくもなんともないのです。もともと統合しなければならないという、そういう価値観がないのです、為政者に。
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 いつまで島国に住んでいるの?と笑ってやるしかありませんねぇ。こんなことをいつまでもしていると、本当に取るに足りない変な国として、存在感を失いますよ~。瑞穂の国が消滅してしまいますよ~

 大切なことは、世界人類の理性に認めてもらうことではないでしょうか?

 お目め直しに
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 本日もお付き合いいただきありがとうございました。
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