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はや大晦日だ~ [たまには photo news]

 はやいもので今年も大晦日となりました。これが今年最後の記事となるでしょう。そりゃそうでしょう、3日に一度ぐらいしかアップしていないのですから。
 でネタは?となりますと、お礼と反省でしょうか、まずは。

 一年間、多数の方にお越しいただき、コメントを頂戴し、本当にありがとうございました。当方、雑用に追われ自由時間に乏しく、お伺いすることもままならず、記事の更新も疎かになりがちでした。にもかかわらず、温かく見守っていただきありがとうございました。
 年が変わってもこの状況は変わらないと思いますが、今後ともよろしくお願い致します。

 さて、アベ政権に対しての行動となりますと、今年は、majyo さんにご出馬いただき、他の多くの方々のご協力も得まして、5月に「平和を願う音楽祭 in Kumagaya 」を催すことができました。これが今年の最大の出来事でした、私にとって。
 一年間にこれだけでは、とてもあの人のバイタリティーにはかないません。領土交渉の進展もなく(後退?)ロシアの大統領を地元に呼び寄せたり、パールハーバーで不戦の誓いを高らかにやったり、相変わらず元気に世界を飛び回っています。

 では、私たちの抗議の声が無になったかというと、そんなことはないと思います。「平和のポーズとは裏腹に、着々と国民主権から国家主義の独裁政治に移行しようとしている」という多くの人の指摘を意識すればこそ、世界が注目する中で、あそこまで平和主義を強調する発言をしなければならなかったのだと思います。

 これからは、世界に向かって言ったことやあちこちでの言動と、今までやってきたこと、また今後やろうとしていることとの矛盾が指摘・追及されることになるでしょう。しっかり見守り、追及し、嘘・偽りの政治は許さないという断固たる国民の姿勢を示して・・・その姿勢が曖昧なところが頭痛の種なんですよね。でも、日本のマスコミは丸め込んでも、世界の世論は騙せませんからね、外の眼が厳しくなるでしょう。
 稲田防衛相が靖国を訪問して米国からクレームがきたとか・・・かつては日本のマスコミが問題にしたことですが、今やそれはあてにならず、外の批判で自国の政治姿勢を見直すようになりました。

 風船かずらさんに教えていただいたことですが、アベ政権は、右車線と左車線を巧みに使い分けて運転しているとか、そんな運転をいつまで日本のマスコミは黙認?支援?していくのでしょうか?新しい年の注目点のひとつではないかと思います。

 まだ片づけ事があるので、今日は、今年は、この辺で。みなさま、どうぞ佳いお年をお迎えください。

 以下はお粗末なスマホ写真です。
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 行ってきました、29日に、年末恒例のお墓参りに。右奥の「やすらぎ」いいですね。
 今朝の公園です。桜の木にメジロがたくさんいたのですが、スマホを構えるとあっという間に飛び去りました。最後の一匹を辛うじて捉えたはずなのですが・・・
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 トリミングします。メジロのお腹です。
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 逃げないハクモクレン、横濱男さんも見せてくれましたが、もう咲く準備、春が向こうの角まで来ています。
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 ヒヨドリでしょうか、ツグミでしょうか、捉えたつもりがこんなもの。ど、ど、どこ? 真ん中に・・・
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 今年も鳥影を捉えることについては、まったくなんの試みも進歩もありませんでした。<(_ _)>

 ご訪問に感謝します。 改めて、佳いお年を!

パールハーバーで世界に発信! [時事問題]

今日の1時ごろです。昼飯を食べながらテレビを見てました。6ちゃん、TBSです。恵とかいう人が司会をしている番組です。アベちゃんとオバマさんのパールハーバーのショーを取り上げていました。
司会者はじめ皆さんが、たいそう立派なイベントで、よくぞアベちゃんが日本を代表して出席し、的確な挨拶をしてくれたと絶賛していました。
「あの人は体裁のいいことは平気でなんでも言える人だから、いいことを言ったからって、いちいち感心していたら、あとで騙された〜てことになるだけだよ」って冷ややかに観てました。が聞けば本当にいいことを言ってたようです。
お集まりのコメンテーターも異口同音にアベさんのお手柄を褒め称えます。
「こんなにいい総理だとみんなが思っているんだぁ、これじゃ毎回毎回、シンゾウの悪巧みをあばくなんてつもりでブログを書いていたら、まったくの異端児、ヘソ曲がりだと思われちゃうなあ」少し弱気になりかけました。

ところがパールハーバー関連が終わって次に取り上げた話題が中国でした。中国では、こんな交通事故が起こるとか、子どもがいろんなものに挟まれるとか、衝撃映像が立て続けに放映されました。要は国民のマナーがお粗末だとか、インフラが遅れているとか、みんなが鼻で笑って、見下すための映像が流されていました。
「おやおや、こういう番組だったのか、中・韓をバカにして、アメリカと仲良くすることに誇りを感じる、そういう人たちが集まって、そういう人たちに向けた番組を作って放送したのか」そう思うと、「なーんだ、それは程度が低すぎるわ、そういう人たちが喝采を送っているのか、バカバカしい」と、早速、さっきの弱気は取り消されました。

それにしても、いいことを言ってるんですね、たとえば・・・

【あの日、日曜の朝の、明るく寛いだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。
生まれてくる子の、幸せを祈る声。
一人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。
愛する妻や、恋人がいた。
成長を楽しみにしている、子どもたちがいたでしょう。
それら、すべての思いが断たれてしまった。
その厳粛な事実を思うとき、私は、言葉を失います。
その御霊よ、安らかなれー。
思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。】また、

【戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。
私たちは、そう誓いました。
そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。】とも言っています。

何も心配することはないじゃないかって、思っちゃいますよね。ところがそう言う人が、一党を率いて、あの憲法改正案を作るんですからね、撤回したわけじゃありませんからね。口先だけならなんとでも言える、そういう類の人なんですよね。

今日はスマホからこれだけ投稿しておきます。
ご訪問に感謝します。

国家改造の戦略を読む ② [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

《国家改造の戦略を読む ②》

〈戦略 その5 集団的自衛権の行使で憲法突破の実績づくり〉
 この国を戦争のできる国に変えるのです。明らかな障害は日本国憲法です。日本国憲法には、言うまでもありませんが、その前文に
【政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し】とあります。また【日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。】ともあります。
 そして、第九条は
【 第九条[戦争放棄、軍備及び交戦権の否認]
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。】となっています。

 これでは戦争はできません。国家の威厳を内外に示す力(=軍事力)の裏付けができません。この憲法はいまの日本にとって不適切と考えます。
 こう考えた時点で、この人は、実は公務に着けなくなります。なぜなら、憲法には下記の条文があるからです。
【 第九十九条[憲法尊重擁護の義務]
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。】
 つまり、憲法を不適切と考える人が総理大臣になることは、すでに想定外の出来事なのです。また明らかに憲法に違反しているのです。いくら当人が「私は法治主義だ」とか「現内閣は憲法を遵守する」とか言っても、内閣総理大臣という公的立場を利用して、従わなければならない憲法を変えようとすることは、明らかにあってはならない、日本中のマスコミが目を丸くして「日本国のみなさん、大変なことが起こっていますよ、放置していていいのですか?」と毎朝、毎晩叫ばなければならない異常な事態なのです。

(ここでちょっと補足の必要が出ました。戦略その3のところで「解散権は確かに内閣総理大臣にある訳ですが」と書きましたが、それははっきりとした根拠がないことが分かりました。憲法にあるものと何となく思っていましたが、「衆議院の解散」について述べている条文はなく、あるのは、「衆議院が解散された場合」の規定のみでした。「総理の専権事項」とよく言いますが、勝手にそういうことにしているだけでした。)

 さてシンゾウ・アベはそんなこと(自分が憲法の許容する政治家ではないこと)は想定内です。いまの憲法が不適切と考えるのですから、その憲法に違反していても、なんら心の痛むことではありません。ただ、立場上、波風を少なくするための方便として、「憲法遵守」と言っているだけです。
 この70年間、日本の最高法規として君臨していた憲法をどうやって変えるか、その方策を考えます。自分の考える憲法改正に賛成する国会議員を三分の二集める選挙対策ももちろん必要ですが、憲法改正の機運を、国民の間に起こす必要もあります。それには、現憲法が、いまの国際情勢に合わなくなっているということを示せばよいと考えます。
 「いまの国際情勢」と言っても見方は様々です。韓国は竹島を領有しようとしているとか、中国は尖閣列島に進出しようとしているとか、そういう情勢を声高に宣伝して、日米同盟の大切さを訴え、「アメリカが日米同盟で守ってくれなければ、日本は簡単に侵略されてしまう。守ってもらう以上、米軍が攻撃を受けたときには共に闘うのが当然の義務だ」と、集団的自衛権の行使を容認する方向に舵を切ります。そして、それを認める安保法制を作ります。
 参考までに Wikipedia の当該記事より「概要」をご紹介します。(注記は省略します) https://ja.wikipedia.org/wiki/平和安全法制

【 概要[編集]

「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」(平和安全法制整備法案)は、自衛隊法、周辺事態法、船舶検査活動法、国連PKO協力法等の改正による自衛隊の役割拡大(在外邦人等の保護措置、米軍等の部隊の武器保護のための武器使用、米軍に対する物品役務の提供、「重要影響事態」への対処等)と、「存立危機事態」への対処に関する法制の整備を内容とする。

また、「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案」(国際平和支援法案)は、「国際平和共同対処事態」における協力支援活動等に関する制度を定めることを内容とする。

第3次安倍内閣は、2015年(平成27年)5月14日、国家安全保障会議及び閣議において、平和安全法制関連2法案を決定し、翌日、衆議院及び参議院に提出した。

衆議院では、同年5月19日、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(浜田靖一委員長)を設置して平和安全法制関連2法案が付託され、審議が開始された。同年7月15日には、同特別委員会で採決が行われ、賛成多数により可決。翌7月16日には衆議院本会議で起立採決され、自民党・公明党・次世代の党(現:日本のこころを大切にする党)などの賛成により可決。参議院へ送付された。

参議院では、同年9月17日には、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(鴻池祥肇委員長)で採決が行われ、賛成多数により可決。同日午後8時10分に参議院本会議開会。翌々日の9月19日午前0時10分には参議院本会議が改めて開会された。17日の参院特別委員会で採決が混乱し、野党側は無効だと指摘したが、鴻池祥肇委員長は本会議の冒頭、「採決の結果、原案通り可決すべきものと決定した」と報告。その後、各党が同法に賛成、反対の立場から討論を行った後、記名投票による採決がされ、自民党・公明党・次世代の党・新党改革・日本を元気にする会などの賛成多数により午前2時18分に可決・成立。さらに、政府は平和安全法制による自衛隊海外派遣をめぐる国会関与の強化について5党合意を尊重するとの閣議決定をした。同月30日に公布された。

政府は、平和安全法制関連2法が「公布の日から六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」としていることを踏まえ、2016年(平成28年)3月22日の閣議で施行日を同月29日とする政令と自衛隊法施行令をはじめとする26本の関連政令を改正する政令を制定する閣議決定をした。

2016年(平成28年)3月29日午前0時から施行した。】

 自衛隊法など10の法律を一括改正する大がかりなものでした。集団的自衛権の行使は違憲であるとの憲法学者の意見も出されました。2015年8月30日には、これに反対する10万人(諸説ある)の人々が国会前に集まり、抗議の声を挙げました。

 にもかかわらず、法案は国会を通過したこととされ、2016年3月29日より施行されました。

 この法制度は、大半の憲法学者が「違憲」と言い切るくらい憲法から逸脱したものですが、シンゾウ・アベは意に介しません。理由の一つは、アメリカの要望を叶えるものであること、もう一つは、まさに、憲法から逸脱していることです。大変強引な人です。無理をしてでも、憲法からまず外に出てしまいたいのです。そして、いわゆる既成事実を作り、自分が勝手に作り出した「現実」に対して憲法が合わなくなっていると人々に思わせたいのです。
 憲法を守ろうとすれば違った現実ができるのに、変えたい一心で、憲法が合わなくなったと思わせる現実を、大急ぎで作っているのです。

 自衛隊員に犠牲が出ることも、少しも恐れていないでしょう。そういう事実をどんどん積み上げたいのです。それが国民あるいは自衛隊員(軍人)と国家(=政府)との正常な関係だとあの人は思っているのです。
 戦後70年間の考え方とはおよそ違うのです。

 本日はこの辺で。
 今宵もいい写真はありません。強いて載せるとすればこんなところです。
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 夏は外に出し放しでろくに構わないのですが、冬になると凍みてしまうので室内に入れて、ときどき水を遣ります。遣るからにはきれいな方がいいと、ふるい株を取り除き、鉢を取り換えたりしました。まったくの素人なので、枯れてしまうか、活き活きして花芽をつけるか、とんとわかりません。
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 足はこんなでまだまだ痛そうですが、実は、段々やわらいできています。昨夜は足を持ち上げて風呂に入りました。片足を持ち上げたまま風呂に入るのは、結構難しいことが分かりました。でもできましたので、今日もやってみます、これから。
 ご訪問に感謝します。特に今日は引用があって長くなってしまったのでお手数をおかけしました。
 

国家改造の戦略を読む [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

 今宵も少しばかり話を進めておきます。鬼の居ぬ間のなんとかです。

《国家改造の戦略を読む》

 ここからは、あの人(なんと呼ぼうかいつも迷います。金子兜太さんは、漢字で書くのはもったいないと「アベ政治を許さない」と書かれました。現役総理なので呼び捨てにするのも不遜な気がするし、さんなんか付ける気はさらにしないし・・・迷っていたところ、先日テレビでロシア外交の話題を某局が仰々しくやっていました。そこで、プーチンとあの人は、シンゾウ・ウラジーミルと呼び合っていました。永年の仮想敵国みたいなロシアの大統領がシンゾウと呼ぶなら、同国人がそう読んでも罰はあたるまいと思いました。)シンゾウの脳内を想像して話を進めてみようと思います。

 この国を戦争のできる国にするのです。

 戦争をするのは国、国家ですから、まずはその戦争をする主体を確立しなければなりません。国旗、国歌、愛国心、天皇制、このあたりを重んじることで、国民個人より国家が大事だという意識の統一を図ります。これは絶えずやっていくことで、日本人の教育の中に根付かせる必要があります。それには、教育基本法をぜひとも改正しておくことが肝要です。ここまでは書きました。

〈戦略 その4 特定秘密保護法〉
 また国の政(まつりごと)は政府が行うので、これをやりやすくするために、国民の知る権利とか情報公開制度とは裏腹に、秘密裏に政治を進めることを正当化する必要があると考えます。国政に秘密があるのは当然で、それを公開したり、第三者に漏らしたり、政府が公表しないことを探り出したり、探り出そうとしたりすることは違法だとすれば、政府は大手を振って密約外交ができます。
 一方、マスコミも社会学者も研究者も、一般国民も、政治は政府にお任せとなり、それが時代に合ったものか、国益にかなったものか、将来に資するものか、など、検証のしようがなくなります。

 政府は、国の安全保障に著しい支障を与えるとされる情報に限って「特定秘密」に指定することとし、これを漏えいした者を処罰の対象にする法案を作り閣議決定、国会に提出しました。その経緯は下記を参照してください。

【法案概要公表から成立まで】(日弁連のホームページより)
【2013年9月3日「特定秘密の保護に関する法律案の概要」公表.
2013年9月17日「特定秘密の保護に関する法律案の概要」パブリックコメント締切.
2013年9月27日「特定秘密の保護に関する法律案」公表.
2013年10月25日法案閣議決定・国会へ提出.
2013年11月7日衆議院委員会審議開始.
2013年11月26日衆議院委員会・本会議にて採決・可決.
2013年11月27日参議院委員会審議開始.
2013年12月5日参議院委員会にて採決・可決.
2013年12月6日参議院本会議にて採決・可決.
2013年12月13日公布。 】

 ずいぶん短期間で法案を作成、成立させたものです。シンゾウのイニシアチブ恐ろし、だれも異論を唱えず。閣議決定ですべては決まる。
 なおこの法律について、日弁連のホームページには下記の解説も載っています。

【 政府が法律を作ろうとしたきっかけは、2010年に起きた尖閣諸島沖漁船衝突映像のインターネット流出事件といわれています。
 しかし、この事件は「国家秘密の流出」と言えるものではありません(詳しくは、→尖閣諸島ビデオ映像流出問題についての会長談話)。
 秘密保護法の基となる報告書を検討した有識者会議では、法律を作る必要の根拠として、他にもいくつかの情報流出事件を挙げていますが、どれも流出が発覚した直後に原因究明を行い、再発防止策がとられています。
 新たに「秘密保護法」を作る必要はないのです。】

 また、その内容について、
【 秘密保護法の内容は、「その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を行政機関が「特定秘密」に指定する
秘密を扱う人、その周辺の人々を政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入する
「特定秘密」を漏らした人、それを知ろうとした人を厳しく処罰する
などが柱になります。】 ともあります。ご参考までに。

 今宵はこの辺で。

 ところで昨日の朝、忙しく動き回っているうちに、車両感覚ならぬ、人体感覚が少し狂って、身体の一番端っこの部分をしたたかぶつけてしまいました。身体の端っこというと、上は頭頂部でしょうか? 幸い上ではなく下の端っこ、足の先です。
 私の場合、足の人差し指、足で人を差すことはないので、第二指というべきでしょうか、その指が余分に長く、そこが今までにない強さで突っかかってしまいました。痛いのなんのって、これはきっと骨折したぞと思いましたが、いくら痛くも足の先ですから、少々痛みが治まると、歩くこともできます。仕事も組んであったので、一日やり終えました。
 夜はさすがに風呂に入るとズキズキするだろうと思い、柚子湯も諦めて早めに寝ました。患部は内出血したと見えて紫色です。
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 朝起きて、やはり骨折が気になるので、近所で、整形外科の先生と知り合いの病院に電話しました。祭日の今日は、やはり先生はお休み、病院自体もお休みで、救急病院を紹介してくれました。
 どうしようかなと思いながらも、左足のつま先に力がかからないように歩けば痛みは出ず、痛い思いをしなければ患部も治ってくるような気がして、今に至っています。今日もお風呂は控えて、早めに寝ます。

 今日はお見苦しい写真を載せてしまいました。他に何かないかと・・・今朝電話した近所の病院で先日撮った写真がありました。
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血圧を診てもらったときに、おっ、ちょっと春を感じさせる演出だなと思って撮ったものです。

 ご訪問に感謝します。関東地方、午後から寒くなりました。ご自愛くださいますよう。
 そう言えば、昨日の強風時に新潟県糸魚川市で大火がありました。お見舞い申し上げます。

 

国家改造の戦略を見る ③ [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

 今日は少しばかり話を進めます。

〈戦略 その3 選挙対策〉
 これは政治家としては常識中の常識、イロハのイなのでしょうが、彼は選挙に細心の注意を払っていますね。情報会社をすでに傘下に収めてしまっているのでしょう、アドバイスに従って、選挙を戦っているようです。

 参議院の選挙の時期は決まっていますし、衆議院は、内閣総理大臣さんは解散権を持っていますから、自分でタイミングを選ぶことができます。選挙が近づくと国民に飴をくれます。現金まで撒いちゃいます。「よし、ひとり3万円あげちゃおう」ったって、税金から出るわけですから、痛くも痒くもありません。
「消費税も、いまは経済環境が許さないから、ようし、延期しよう。これは大英断だなあ」ったって、約束どおり経済環境をよくできなかった責任はどうするんじゃい? それから歳入に不足が出るのは明らかで、どこを削るのか、それこそが問題なんです。

 選挙はまだまだというときは、評判が悪くなりそうなことは、みんなやっちゃいます。年金の支給額を減らす法案とか、カジノを認可して、観光客や国民に博打をさせて国が儲ける法案とか、どんどん作っちゃいます。

 解散権は確かに内閣総理大臣にある訳ですが、公共の福祉のために、正しい政治のために行使するのに決まっていると思うのですが、そんなことはお構いなし。総理の固有の権利です、とばかり。
 いまは小選挙区比例代表並立制ですから、党本部がどう評価してくれるか、党の総裁と執行部次第ですから、与党の議員さんは必死です。解散となったら、地位と名誉と職業がかかっていますから、造反のゾの字も、異論のイの字も、与党からは出てきません。落選したら、一転、ただの失業者、路頭に迷ってしまうことにもなりかねません。

 そんな重大な権限を、あの方はお持ちなんです。職名は首相でも、その力はどこぞの大統領よりもはるかに大きいと思われます。民主主義の名のもとに、独裁政治ができてしまいます。解散権に条件が付いていないというのは大問題ではないかと思う次第です。

 今日はこれまでです。
 昨夜は冬至ということで、柚子湯に入りました。我が家には、季節行事をマメにやる同居人がいるので、あやかっちゃいました。いい香りでした。
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 もう、春を待つばかりです。の気分なのですが、その前に寒い冬がまだしばらくあります。
 みなさん、ご自愛くださいますよう!
 ご訪問に感謝します!

 

国家改造の戦略を見る ② [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

〈戦略その2の前に 国家主義と戦争の関係〉

 安倍総理(2016年現在)の目的は、日本を戦前の国家主義の国に戻すことにあります。それは、同時に戦争のできる国にすることでもあります。国家主義と戦争のできる国とはイコールです。
 なぜかというと、国家主義は、国家が強い力を持ち発揮したいのです。どこに向かって発揮するかというと、「よい国を作るため=国民生活をよくするため」では国家主義ではありません。国家が力を発揮するとなると、外の世界に対してその存在をより確たるものにしたいのです。
 力とは、すなわち軍事力です。戦争を放棄し、戦争ができない国では、外の世界に対し力の発揮しようがないのです、と国家主義者は考えます。
 国家主義だから戦争ができる態勢(体制)が必要なのか、戦争がしたいから国家主義になるのか、その辺は判然としません。一体と言えましょう。
 なぜなら、戦争をするのは個人ではありません。個人がするのは喧嘩やせいぜい暴動です。戦争をするのは国です。つまり、したい戦争をするには、戦争をする主体を形成、強固にしておかなければなりません。そのためには、国民の精神の自由や生活の豊かさよりも、歴史と伝統ある国家が大切だとしておく必要があるわけです。
 以上が国家主義と戦争ができる国、戦争をする国との関係です。

〈戦略 その2 手始めに「教育基本法」を変えよう〉

 憲法改正の前に教育基本法を変える必要があると考えます。教育基本法は、戦前の教育勅語(朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ・・・)に代わって、1947年3月に公布されました。
 それがどのようなものかは、前文を読むだけでおよそわかります。
 旧教育基本法前文
【 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。】

 そしてその目的とは
【 第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。】 これだけです。

 日本国憲法と精神を一にする教育の指針で、教育の中身については、教育の普遍性を損なわないよう、必要最小限にとどめようとするシンプルなものでした。

 この、日本国憲法とセットの一角を、憲法改正の手続きの要らない「教育基本法」からまず崩そうというのが彼らの狙いでした。
 教育基本法の改正案は「愛国心」という表現が盛り込まれるかどうかに注目が集まりました。与党公明党との意見のすり合わせの中で、その表現は載せないことで折り合いがつき、2006年4月に国会に提出されました。
 その年9月に自由民主党総裁に選ばれ第90代内閣総理大臣に就任した安倍は、召集した臨時国会で、11月、この改正案を野党欠席の中、成立させました。
 この新法は、シンプルだった10条を4章18条に細分し、ああしなければならない、こうしなければならないと、こと細かく教育に指示を出す「基本法」となりました。下記参照

http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/
06121913/002.pdf

 民主主義の国にあっては、教育は国民が主体的に行うもので、国は、その環境を整える役割を果たすべきです。国が教育の中身まで規定し、国家の在り方や方針を尊重するよう強要するようでは、国民主権の国とは言えなくなります。
 もっとも、彼らにとっては、国民主権を潰して国家主権にしたいわけですから、まずは教育基本法を変えることが重要と考えたのでしょう。
 見事、成功してしまいました。この法律は、再改正しなければなりません。

 ここでは【前文】だけ挙げておきます。
【 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。】

 例によって、美辞麗句で飾るなかに、ちらちらと本音を出します。最も可笑しいところは【日本国憲法の精神にのっとり】と旧法をまねたところです。旧法は、真剣に「のっとっている」のですが、こちらは、日本国憲法はダメだから変えようとしているのです。でも、「こう書いておけば文句はないだろう、今の日本国憲法なんかいずれ変えれば済むことさ」と思っているのでしょう。極めて不真面目です。

 本日は以上です。おまけの写真をいくつか。
 明日は冬至です。明後日から日が延びます。イェイ! 今日2時前でしたが、陽が低かったこと。低い陽を撮りたかったのですが、諦めて陰の長さを撮ってみました。
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 ついでに
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 ご訪問に感謝します。おやすみなさい!

国家改造の戦略を見る [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

《国家改造の戦略を見る》

〈異例のハイスピード出世〉
 こんな生い立ちのこんな人物が、親=安倍晋太郎(あべ しんたろう、1924年(大正13年)4月29日 - 1991年(平成3年)5月15日、日本の政治家。 衆議院議員、農林大臣、官房長官、通産大臣、外務大臣、自民党国対委員長、自民党政調会長、自民党総務会長、自民党幹事長を歴任。Wikipediaより)のあとをついで、1993年衆議院議員になります。ときに38歳。若手右寄りの政治家でしたが次第に、というかいつの間にか党中央に躍り出ます。Wikipediaより、履歴を挙げておきます。

1993年7月 - 衆議院議員初当選(旧・山口1区)
1999年10月 - 衆議院厚生委員会理事
2000年7月 - 第2次森内閣で内閣官房副長官に就任
2001年4月 - 引き続き第1次小泉内閣で内閣官房副長官に就任
2003年9月 - 自由民主党幹事長に就任
2004年9月 - 自由民主党幹事長代理に就任 党改革推進本部長に就任
2005年10月 - 第3次小泉改造内閣で内閣官房長官に就任
2006年9月 - 自由民主党総裁に選出、第90代内閣総理大臣に就任
2007年9月 - 自由民主党総裁及び内閣総理大臣を辞任
2009年11月 - 創生「日本」会長に就任
2012年9月 - 自由民主党総裁に選出
2012年12月 - 第96代内閣総理大臣に就任
2014年12月 - 第97代内閣総理大臣に就任

 森喜朗と小泉純一郎が抜擢していることがよくわかります。これにより、短期間、異例の若さで政治の中心に躍進しました。
 彼は、まず自民党の政治姿勢の改革を目標に掲げます。政権の座にあるのだから、党が本来目指す政治をどんどん実現しなければいけないと考えます。そして、党の立党宣言や綱領の書き換えを実現し、自民党に方向性を与えます。曖昧だった党の向かう方向を、党内外に明確にします。
 向かう方向とは敗戦によって曲げられた国の在り方を元に戻すことです。それが保守の道だと規定します。国民主権の戦後の憲法を、国家主権の憲法に戻す必要があります。「自主憲法」を制定し、主権を国民から国家に!

〈戦略 その1 鎧の上に衣を〉

 国家が主導する強い国に変えたいのです。半世紀ものあいだ、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を謳って営まれてきた国を、なんとしても敗戦以前に戻したい、彼のチャレンジが始まります。
(最初は彼の側のチャレンジだったはずです。それが次第に白い駒を黒い駒にひっくり返し、いまや黒優勢、形勢不利の白が黒にチャレンジするような状況になっています。)

 2006年7月、第3次小泉内閣で官房長官を務めるかたわら、例の著書『美しい国へ』を出版します。出版の目的には、自分の向かうべき方向を示すこともあったでしょうが、このタイトルで本を出しておきたいという願望があったと思われます。
 「[国家が主権を持つ強い国]につくりかえる」という信念をむき出しにしたのでは、国民に疑念や警戒心を持たれかねないと判断したのでしょう。自分は「この国を美しい国にしたいのだ」という柔らかいベールに包む必要を感じたものと思われます。自分は【闘う政治家】(同書【はじめに】より)だけれども、理屈を云々する堅物の政治家ではなく、日本的な美意識を理解するロマンティストだというイメージを売っておきたかったのでしょう。(この発想は、「積極的平和主義」という造語も、後に生み出します。)

 ちなみに、美しい国の中身については、つまり何をもって美しい国というのかについては何も記していません。それらしき部分としては、最終章の【第七章 教育の再生】の最後の段落につぎの記述があります。書の最後ですから一番いいところです。引用します。
【 私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。この可能性を引き出すことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか。
 日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか。】
 「いい国をつくろう!」と若者に呼びかけています。『美しい国へ』というタイトルの説明は以上です。

 そして巻末の【おわりに】の最後の部分は、次のようになっています。
【本書は、いわゆる政策提言のための本ではない。わたしが十代、二十代の頃どんなことを考えていたか、わたしの生まれたこの国に対してどんな感情を抱いていたか、そしていま、政治家としてどう行動すべきなのか、を正直につづったものだ。だから若い人たちに読んでほしいと思って書いた。この国を自信と誇りの持てる国にしたいという気持ちを、少しでも若い世代に伝えたかったからである。
 政治は未来のためにある ― わたしの政治家としての根っこにある想いを知っていただければ望外の喜びである。】

 せっかく引用したので感想を言わせてもらいますと、日本が過去に悪い結果を招くことをしてしまったことについては、正しい反省ができれば、日本人として卑下したり、自信と誇りを失うことにはなりません。正しく反省できなくて、あれはあれでよかった、仕方なかったなどと曖昧にする方が、同じ民族として自信と誇りを失うことになりかねません。
 いくら信念をもって正直に政治活動をしても、人の感性は一様ではないのです。政治家は人々の声に耳を傾けることが大事です。自分の生い立ちの特殊性を自覚しそれに配慮することなく国政を動かすものではないでしょう。
【政治は未来のためにある】それはまさにそのとおりです。その未来は、地球全体の未来です。一国だけの明るい未来は、いまやあり得ません。

 本日は以上です。また、19日が近付いてきました。与党にDMを送る日です。
 今月はこれまでのに追加して、長淵剛さんの反骨の歌詞でも送ろうかと思います。
 cyoko1112 さんのブログを参照して
 http://cyokokunn.blog.so-net.ne.jp/2016-12-14

 ご訪問に感謝します。

 

現宰相の人物像 ③ [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

〈国家主義〉

 このブログを読んでくださっている奇特な方が、アベさんのことを長々書いているので辟易なさっていることは薄々?わかります。「まだ書くの?」と思われていることでしょう。これが最後です、アベさんの人物については。
 どうしても彼の「国家主義」については触れておきたいのです。こんなためらいのない国家主義者も珍しいと思いますので。

 「国家主義」はWikipediaによりますと、
【国家主義(こっかしゅぎ、英: statism ステイティズム、仏: étatisme エタティスム)とは、国家(≒政府)を第一義的に考え、その権威や意志を第一だと考える立場のこと。】とあります。さらに
【大辞泉によると、国家主義とは、国家を、「最高の価値あるもの」とか「人間社会の最高の組織」などと見なし、「個人よりも国家に絶対的な優位性があるのだ」などとする考え方である。ブリタニカ百科事典によると、国家主義とは「国家に至上の価値がある」などと主張して、国家的な秩序や、国家による命令、自分の属する国家が軍事的に強いことなどを他の全ての価値に優先させようとする政治的な主張を指す。 国家主義的な立場をとる者、そのような思想を持つ者を「国家主義者」と言う。

国家主義は保守的なイデオロギーのひとつである。特に近代化に乗りおくれた20世紀のドイツや戦前の日本で隆盛をきわめた、とブリタニカには記述されている。反意語は、世界やイギリスなどの西欧諸国を中心とするという意味合いの、「グローバリズム」である。(グローバリズムとは、グロブブリテインを中心とした、という意である事から)

自国国家を至上におくという考え方であるがため、国家内での価値の共有などは国家を形成するにおいて重要ではあるが、(国家の利益を個人の利益に優先させるので)全体主義的な傾向があり、偏狭な民族主義や国粋主義になりがちであるとされる。】と【概説】にあります。

 国家というか、国と個人の関係を、宰相自身はどう捉えているかというと、御著書『美しい国へ』の【第二章 自立する国家】につぎの件があります。

【個人の自由と国家との関係は、自由主義国家においても、ときには緊張関係ともなりうる。しかし、個人の自由を担保しているのは国家なのである。それらの機能が他国の支配によって停止させられれば、天賦の権利が制限されてしまうのは自明であろう。】だから個人の権利は天賦ではなく、国家が保障するからこそ存在するのだというスタンスです。固有の権利ではなく、施してやっている自由にすぎないというのです。
 また、つぎの記述もあります。
【外国旅行で私たちが携帯を義務づけられているパスポートには、外務大臣の署名で、「日本国民である本旅券の所持人を通路支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する」
 との文言が明記されている。
 これは、所持者であるあなたが日本人であることを、日本国家が証明し、外国における権利を日本国家が担保するという意味である。いうまでもなく、そこでは、どこの国に属しているかということが極めて重要な意味をもつ。わたしたちは、国家を離れて無国籍には存在できないのだ。】

 国というのがいかに大切かということを読者に伝えている訳ですが、そんなことは小学生でもわかることではありませんか?国なんかいらないと大勢が言っているとでも言うのですか?主権の及ばない地域に行くときには、そちらを統治する機関に国が発行する身分証明書を持っていく、あまりにも当然の話ではないですか。「だから偉いのは国であって、個人ではない」という価値観の話ではないでしょう。日本国が立派な国であって、多くの国から尊敬されているということを望まない日本人は極めて少ないでしょう。
【国民がパスポートをもつことによって国家の保護を受けられるということは、裏を返せば、個々人にも、応分の義務が生じるということでもある。】
 はいはい、おっしゃるとおりであります。

 こんなことも書かれています。
【国家権力は抑圧装置であり、国民はそこから解き放たれなければ本当の自由を得たことにはならない、と国家と国民を対立した概念でとらえる人がいる。
 しかし、人は他人を無視し自ら欲するまま、自由にふるまうことが可能だろうか。そこには、すべての要求が敵対し、からみあう無秩序社会 ― ジャングルの中の自由があるだけだ。そうしないために、近代社会は共同体のルール、すなわち法を決めた。放埒な自由ではなく、責任を伴う自由を選んだのである。】
 法の基が憲法であることをお忘れなければ、これもおよそおっしゃるとおりであります。しかし、個人の自由か、国の統制かの二択をしているわけではないのです。国は現に存在するし、国にまったく頼らず個人で生きることも不可能に近いのです。要は、国の秩序や権限や命令が何を置いても大事なのかそうではないのか、そこが焦点なのです。
 国の存在と発展そのものが大事なのか、国民の生活や人生の充実のための便法なのか、そこが問題なのです。

 前者を尊しとする人もいますが、これは明らかに間違っています。なぜかというと、国は人が集まって作った組織です。紙に書いた権限の図です。虚構、虚像です。一方、個人は一つの命を持った実体です。
 組織は虚構といえども、個人を呑み込み、つなぎ、動かしますから巨大な力を発揮します。大蛇やドラゴン、恐竜のようになります。
 この巨大似非生物が、それ自身を生き物と勘違いし、自らの欲求を満たす活動を始めると、大変な禍が起こります。どこに起こるかというと、まずは自らの内に向かって、お前たちの生命活動より、全体としての国家(つまりワシ)の命運が大事だと、国民に無理を強いるようになります。実体である国民の生活を歪めるようになります。
 ついで、近所の巨大似非生物と、必ずいざこざが起きます、覇権を争うようになります。なぜなら、どちらも理屈を塗りたくって、似非生物がいかに似非ではなくて、個人の存在を超えた由緒正しい価値ある生き物であるかを理論武装しているからです。近隣諸国とは格が違うのですから、衝突せざるを得ません。

 こんな国家主義を隠すこともなく高らかに宣言してはばからない人が宰相を務め、憲法の改正を企んでいるのです。

 取り急ぎ更新します。ご訪問に感謝します。



現宰相の人物像 ② [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

〈宰相の歴史観〉

 その一端は、自身の著作『美しい国へ』に表れています。
 『美しい国へ』については本ブログでは、
http://mo-mo-taro.blog.so-net.ne.jp/2014-08-07
以降で取り上げています。また拙著『友よ、戦争をしない世界を創ろう!』では、第三章で取り上げています。

 その『美しい国へ』の【第一章 私の原点】の中に【その時代に生きた国民の目で歴史を見直す】という一節があります。そこに次のように書かれています。(『美しい国へ』安倍晋三著・文藝春秋発行より引用)

【その時代に生きた国民の目で歴史を見直す】

【歴史を単純に善悪の二元論でかたづけることができるのか。当時の私にとって、それは素朴な疑問だった。
 たとえば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったとのひと言でかたづけられることが多い。しかし、はたしてそうだろうか。
 たしかに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任はときの指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には「断固、戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持していたのではないか。
 百年前の日露戦争のときも同じことがいえる。貧乏生活に耐えて戦争に勝ったとき、国民は、ロシアから多額の賠償金の支払いと領土の割譲があるものと信じていたが、ポーツマスの講和会議では一銭の賠償金もとれなかった。このときの日本は、もう破綻寸前で、戦争を継続するのはもはや不可能だった。いや実際のところ、賠償金をとるまでねばり強く交渉する力さえすでになかったのだ。
 だが、不満を募らせては国民は、交渉に当たった外務大臣・小村寿太郎の「弱腰」がそうさせたのだと思い込んで、各地で「講和反対」を叫んで暴徒化した。小村邸も暴徒たちの襲撃にあった。
 こうした国民の反応を、いかにも愚かだと切って捨ててもいいものだろうか。民衆の側からすれば、当時、国の実態を知らされていなかったのだから、憤慨して当然であった。他方、国としても、そうした世論を利用したという側面がなかったとはいえない。民衆の強硬な意見を背景にして有利に交渉を進めようとするのは、外交ではよく使われる手法だからだ。歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではないのである。
 この国に生まれ育ったのだから、わたしは、この国に自信を持って生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なことではないか。学生時代、徐々にそう考え始めていた。
 だからといってわたしは、ことさら大声で「保守主義」を叫ぶつもりはない。私にとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本および日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。
 現在と未来に対してはもちろん、過去に生きた人たちに対しても責任を持つ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守られてきたのかについて、プルーデントな認識をつねに持ち続けること、それこそが保守の精神ではないか、と思っている。】

 現代宰相の歴史観をご覧になって、みなさんがどう思われるかと思い、文字打ちしてみました。いかがですか? 正直、言いたくないけれどお粗末でしょう?
 われわれが歴史を学ぶときは、人類の、日本人の、われわれの祖先の、過去のそれぞれの時代の生き方や出来事を知り、今日までの経過を概略頭に入れ、そこから自分たちの社会の営み方や自分の生き方の参考になることを学びとろうとするわけでしょう?

 ところがこの方の過去を見る眼は【歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではないのである】であります。だれも端から善悪で割り切ろうとなんかしていないのに、この方の目にはそう映る。なぜそう映ってしまうかというと、【この国に生まれ育ったのだから、わたしは、この国に自信を持って生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大切なことではないか。】この気持ちが優先してしまっているからです。

 多くの人は、第二次大戦までの日本の歩みが、日本(および周辺諸国に)に大きな不幸をもたらしたと感じていて、なぜそういうことになったのか、そこを明らかにし、同じ不幸が訪れないように、そこから学ぼうとしているのです。よかれと思ってしたかもしれないけれど、よくなかった。神国だからいつか神風が吹くかと思ったら吹かなかった。とうとう完敗し、降伏したのです。
 この方はその時代を過去の時代として振り返ることができないのです。そのとき、その道を選んだ為政者の、あるいはそれを支持したマスコミや一部国民の、気持ちのままなのです。
「悪と言ってくれるな、この道しかないのだ、これが欧米の帝国主義に対抗する日本の唯一の国の在り方なのだ。みなもそういう受け止め方ができないのか、それがその時代に生きた国民の目で歴史を見直すということだ」
 結局、あの時代と距離感がないのです。歴史として見ることができていないのに、「歴史」を語っているのです。

 それから【過去に生きた人たちに対しても責任を持つ】という表現がありますが、これも、「責任を持つ」ということの意味がわからないからこそ、言えることです。
 また、この方の歴史観では、時の権力者は国民の支持を得ているからこそその地位にあるのだから、その人の決めることはなんでも、善悪を超えて、歴史的に尊重される価値があることになります。「今」を永久化するトリックにはまっています。歴史に裁かれるという認識がないのです。大変危険です。

 本日は以上です。おまけの写真は先日お知らせした「戦争させない!オール熊谷市民アクション」の写真です。今日13時半からありましたが、私は14時から用事があり、受付で資料を300円でいただいてきただけでした。
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ご訪問に感謝します。

現宰相の人物像 [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

《安倍晋三研究を少々》
 現(2016年)総理安倍晋三という人の人物研究を、ここで少々やっておきたいと思います。
〈アベさんの生い立ち〉

 どんな環境で育ち、どこで勉強されてあのような思考の方が生まれたのか、そこに簡単に触れておきたいと思い、ネットで情報を探しました。すると、
『安倍晋三:沈黙の仮面の下の素顔』野上 忠興著という書物があることを知りました。この本に必要な情報があるかもしれないと思い検索していると、次のブログ記事に出会いました。

 安倍晋三の生い立ちから見るその本質―   野上 忠興著『安倍晋三:沈黙の仮面の下の素顔』を読む(1)【 よりによって、安倍晋三本を読むなど、馬鹿らしいと考える人は多いだろう。私自身、知性と教養に欠け、しゃべりが下手で舌足らずな安倍晋三に、人間的魅力など一欠片も感じない。ところが、並の政治家にすぎない安倍が何重にもかさ上げされた評価を真に受け、高飛車な言動や政策を実行している。将来の日本に禍根を残すだけの政治家が、高い評価を受けている奇妙な社会現象こそ、私の関心事である。その生い立ちを知り、歴史観や社会観の浅薄さを再確認し、そういう人物に国の将来を託す過ちを明確にすることに意味があると考えている。それが本書を取り上げる理由である。】で始まる大変興味深い文章です。記事末を見ると
【「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。】とあります。
 著者名は<盛田常夫(もりたつねお):在ブダペスト、経済学者>とあります。
 このまま全コピーして貼り付けても十分読み応えのあるものですが、量的に大きくなりすぎますので、生い立ちの部分だけを切り抜かせていただくことにします。【 】内。省略・割愛部分は・・・で示します。興味のある方はこのサイトにて全文をご覧ください。
アメリカの心配をする暇はない

 ・・・騙した政治家が悪いのか、騙された国民が悪いのか。どっちもどっちだが、アメリカの心配をする暇があったら、日本の将来を心配した方がよい。目先のことしか考えない馬鹿な政治家を抱けば、国は滅びるだけだ。

父母の愛情を受けられなかった幼年・少年時代

 安倍晋三の言動や表情から、人としての情や、心からの思いやりが感じられないのは私だけではないだろう。その態度と発言は、常に、よそよそしく、率直さが感じられない。何事を語っても、気持ちが感じられない。本書は「沈黙の仮面」と形容しているが、安倍晋三に人を欺く仮面や知恵があるとは思えない。彼の言動は素顔そのものである。
 安倍晋三の言動から、感情を表に出すことを憚る意識や、家庭の温かいぬくもりを知らない環境があったのではないかと推測される。人の性格や感情形成に幼年期や思春期の家庭環境、学校環境が影響していることは間違いない。
 本書の著者野上氏は福田派と安倍派の番記者として、安倍晋太郎とも親しかった。本書を描けたのも、安倍家との関係が深かったからだ。安倍家の内情に詳しく、安倍の乳母だった久保ウメから、晋三の幼年期から思春期にかけての家庭状況や精神的発育の状況を詳しく聞いている。日本の政治家の家庭の様子が手に取るように分かる。
 晋三は親の愛情を注がれて育っていない。日本の政治家は、昼夜を問わず、支援者や政治家との付き合いに飛び回っている。安倍晋太郎は子供に愛情を注ぐ時間を削って政治活動に没頭し、母は支援者回りに勤しんでいたから、二人の兄弟の面倒は乳母が見ていた。添い寝をしたのは母ではなく乳母のウメだった。だから、安倍家の親と子供の関係はきわめて冷めたものだったことは容易に想像される。
 もっとも、長男の寛信は最初の子供だったこともあって、両親からそれなりの愛情が注がれたようだが、次男の晋三が生まれた頃には晋太郎の政治活動が繁忙を極め、父母の愛情を受ける機会がなかった。幼児期における親の愛情不足は子供の情緒を不安定にし、人を思いやる感性を育まない。
父母に代わって晋三をかわいがってくれたのは、母方の祖父岸信介である。晋三が父晋太郎より、祖父である岸を慕う原点がここにある。しかし、三男の信夫が生まれてから、この関係も大きく変わった。信夫は生まれて間もなく岸家に養子に出されたからである。岸信介の愛情もまた、晋三から信夫に移っていったのは自然なことだが、晋三には弟に祖父を取られたという意識が芽生えたことは疑いない。
 人としての安倍晋三の心理と感性の形成は、このような複雑な家庭環境に大きく影響されている。
 安倍家の長男寛信と次男の晋三は、性格が対照的だった。冷静な長男に比べ、晋三は口数も少なく、学業成績も良いとは言えなかった。だから、当然、政治家を受け継ぐのは長男だと考えられていた。こういう兄弟関係もまた、晋三の心的形成や精神的な成長に大きな影響を与えた。
 安倍家や岸家を担ってきた政治家は、東大法学部卒のエリートであるが、晋太郎の息子3名は皆、私立大学の付属校に入学し、エスカレーターで大学まで進学した。ただ、兄の寛信は晋三と同じく成蹊大学を卒業したが、その後、東大大学院へ進学した。また、養子に出された弟の信夫は慶応大学経済学部を卒業した。晋三が大学進学を迎えた時期に、父晋太郎は「大学は東大しかないんだ」と、分厚い漢和辞典で晋三の頭を叩くことが何度かあったという。もともと学業を期待されず、偏差値が高いとはいえない付属学校をエスカレートで上がってきた晋三には、とても実現できる目標ではなかった。物心ついてからの晋三は徐々に学歴コンプレックスに悩まされていたはずで、父からの難題は、晋三に東大嫌いのコンプレックスを植え付けただろう。
 そういう晋三が政治家として晋太郎を継いだことには理由があった。無口で目立たない子供だったが、ツボにはまるテーマでは人が変わったように持論を守り、かんたんに引かずに相手を論駁することがあった。そのテーマこそ、尊敬して止まない祖父岸信介が孫に語った日米安保条約の正当性である。生半可に安保条約を否定する同級生にたいして、逆に問い詰め、論破することがあり、同級生を驚かせたエピソードが語られている。
 簡単に首を縦に振らず、納得できないことには絶対に「分かった。ごめんなさい」と言わない頑固さに、父晋太郎が政治家の資質を見たという。事を荒立てないように、簡単に親に謝る長男寛信より、納得できなければ口を固く閉じ、謝らない晋三の方が政治家向きだと考えたようだ。安保法制がいかに不合理だと論破されても、頑なに持論を守る姿勢に通じる。二度も首相の座を射止め、学歴に及ばない兄と弟を出し抜いたことを、さぞかし自負していることだろう。
 もっとも、この程度で政治家の跡継ぎが決められるのかとがっかりさせられる。政治家に求められる資質とは、少なくとも日本ではこの程度のものなのだ。同じ土俵で闘うことを避け、頑なに持論にしがみつくのは、たんに「愚鈍」なだけではないか。

( 初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/ ) 】
 結局、〈父母の愛情を受けられなかった幼年・少年時代〉の節は全部引用しました。

 学歴については、Wikipediaより引用します。
【 生い立ち
1954年(昭和29年)9月21日、当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎と、その妻・洋子の次男として東京都で生まれる。本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)である。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と回想している。幼い頃は野球選手や刑事になることに憧れていた。
学生時代
成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科を卒業した。
小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間は平沢勝栄が家庭教師についていた。高校ではクラブは地理研究部に所属。高校卒業後成蹊大学に進み、佐藤竺教授のゼミに所属して行政学を学ぶ。大学ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという。1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され1978年から1979年まで政治学を学んだ。】

 公立学校で学び育った多くの国民とは、やはり違う学校環境で学び育っています。詳しいことは、成蹊小学校〜成蹊高校がどんなことを教える学校なのかを調べる必要がありますが、それよりも、やはり、祖父から受けた「日米安保論」の影響がその後を決めているということのようです。

 本日は以上です。
 おまけの写真としては、おととい長野にりんごを買いに行ってきたときのものを二枚。
 毎年、11月の末か12月の初めにりんごを買いに行っています。ツレのポリシーです。
 9時ごろ出たかったのですが、今年は3歳の孫連れのため、10時半と出遅れました。信州中野で下りて行きつけのリンゴ農家に着いたのが1時半過ぎ、独りでりんごを積み込んでいたら3時頃になり、コンビニを探してうろうろしていたら4時ごろになり、粉雪が降り始めました。
 さあ大変、ノーマルタイヤなので軽井沢あたりでチェーン規制になったら家に帰れなくなる・・・と久しぶりに緊張しました。
 でも小雪が舞っていたのは長野市周辺の山間部だけで、無事7時過ぎに帰宅できました。
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