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戦争を待ち望む危険な心理 ③ [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

〈 戦争の経済効果? 〉

 戦争は経済行き詰まりの打開策として実行に移されることが多いようです。しかし本当にプラスの経済効果はあるのでしょうか?

 明治維新以後の戦争について、簡単に振り返ってみます。
 1894年の日清戦争では、朝鮮の独立を認めさせ、台湾、遼東半島などを手に入れ、賠償金2億両(約3億1000万円。当時の日本の国家予算の2倍以上の金額)をゲットします。さらに日清通商航海条約(欧米と同条件の不平等条約)を結ばせました。
 わずか8ヶ月の戦争で大儲けしたと言っていいでしょう。
 戦争とは儲かるものという印象を、多くの日本人が持ったものと思われます。
 しかし、日本が得たものは清国が失ったもので、支配権・利用権が移転したにすぎず、財貨が増えたわけではありません。戦争は破壊競争ですから、戦場(主たる戦場は朝鮮)で多くの死傷者と財貨の破壊があったわけです。日本側の死傷者約一万八千人、清国側の死傷者約三万五千人と言われています。

 日露戦争は1904年2月から1905年9月まで、遼東半島と満州を主たる戦場として行われました。当該地域の派遣覇権を巡って激しい攻防戦が繰り広げられました。
 当時の国家予算が2億5千万円、戦争遂行のために国債を発行するなどして調達した金額が18億円。そのうち、緒戦で15億円使ってしまい、戦争続行も難しくなり、アメリカの仲介で講和に持ち込みました。そして、日本の韓国における優越権を認めさせ、南樺太、大連、旅順を譲り受けましたが、12億円を要求していた賠償金は得られませんでした。
 人的損害は、日本側の戦没者9万人弱、ロシア側の戦没者約5万3千人と莫大です。

 次なる戦争は第一次大戦。1914年から1918年。ドイツ・オーストリア・トルコなどの同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国が、主としてヨーロッパを戦場として争った戦争。日本は連合国側につき参戦、中国の利権を拡大するなど、大いなる漁夫の利を得ます。
 しかし、大戦参加国の多くは国民経済を総動員する国家総力戦を強いられることとなり、それまでの常識をはるかに超える物的・人的被害がもたらされました。
 人的損害は、連合国側にあっては、戦死者 553万人、戦傷者 1,283万人、行方不明 412万人。同盟国側にあっては、戦死者 439万人、戦傷者 839万人、行方不明者363万人(wikipedia による)

 次なる戦争は、1931年満州事変、1937年日中戦争、1941年太平洋戦争と相継ぎます。多少の休戦期間はあるものの、あの敗戦へとつながる一連の軍拡時代、15年戦争とも呼ばれる時代です。
 主たる戦場は中国と南洋諸島及びその周辺海域ですが、やがて沖縄や本土も戦火にさらされることになりました。
 人的損失は、第二次世界大戦全体では5千万から8千万人、日本人については約3百万人と言われています。経済的な利益はあろうはずもなく、「欲しがりません、勝つまでは」私財の供出と耐乏生活を強いられた時代でした。
 その戦争の結果は言うまでもなくポツダム宣言の受託。植民地を失い米軍駐留が続くことになります。

 こうしてみると、戦争の経済効果は、損失が圧倒的に多く、メリットなどとても考えられないということがまず言えます。
 あるとすれば、勝ちと負けでは大違い、勝った側はぶんどった分だけ儲け、負けた側は戦争被害の他に、ぶんどられた分、大損ということになります。大博打ですね。

 それから、国を挙げての行為ですから大金が動くことは間違いありません。いくら動いても消費(浪費)行為ですから、経済的な投資とはなりません。深慮遠謀があれば別ですが、勝つことが前提です。勝たないことには何の見返りもありません。
 ただ、金が動くと益になる人がいるものです。オリンピックの誘致、築地市場の移転問題などでも明らかなように、金のかかるイベントに群がる人は多く、予算はやたらと膨らみます。
 戦争も、全体としては明らかにマイナスの行為ですが、大金が動くとその一部で肥える人や企業がいるのです。風が吹いて儲かる桶屋がいるのです。大勢の不幸の上に成り立つ商売があるのです。死の商人と呼ばれています。

 戦争特需という現象?言葉も知られています。
 第一次大戦が主にヨーロッパの各地で行われたため、戦場にならず産業が打撃を受けなかった日本経済は、輸出が伸び好景気になりました。
 また、1950年に朝鮮戦争が起きました。1953年休戦協定が結ばれ現在に至っています。戦場は朝鮮半島で、駐留米軍が関わったため、戦時物資の補給で日本経済は潤い、戦後復興の足がかりになったと言われています。
 1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争でも、燃料などの軍事関連物資の輸出が好調で、高度経済成長の一因と見る人もいます。

 しかし戦争特需という経済への好影響が仮にあるとしても、それにはそれなりの条件が必要です。戦場に比較的近いこと、決して戦争に参加しないこと、それでいて、当事者の一方と友好関係にあることが必要です。これはかなり虫のよい条件で、隣国の不幸を餌に私腹を肥やそうとする賤しき魂胆と言わざるを得ません。それから、肥える人があっても、偏った職種に限られます。

 やはり、経済は平和時に勤勉と創意工夫で地道に発展させるものです。破壊行為が経済的な利益をもたらすことはあり得ません。不平等と格差拡大、支配と隷属を産み出すだけ、と考えるべきです。

 産業には軍事産業という分野があります。これも民間企業で利益を追求しています。商売相手は政府です。政府の防衛予算が増えれば売り上げが増します。防衛予算はどのようにすれば増やせるかと言えば、戦争の脅威が増していることを国民に宣伝すれば可能になります。仮想敵国を設けて、敵国の軍事技術や装備品が向上していることを訴えれば可能になります。こうして軍拡競争が行われ、各国の軍事産業は次第に肥大化します。
 政府は赤字を抱えていても、公金が動けば、相当割合の金が特定企業に利益として確保され、その一部が政治献金として政治家に還流します。国の財政再建よりも、経済活性化と政治資金確保が優先されても不思議はありません。その結果、財政はますます逼迫し、武器は過剰に供与され、やがて、武器の使用、消耗が待たれるようになります。
 しかし戦争というのは、局地で短期間限定的に行われるものとは限りません。何をきっかけにどう拡大していくかわからないものです。高じれば、軍事産業、軍事工場自体が敵の攻撃目標になり、やがて破壊されてしまうかも知れません。そうなったら元も子もありません。

 信頼できる世界政府が未だ存在しない状況では、他国の侵略を容易に許すことのないよう、自衛の備えは必要でしょう。そうなると、それを可能にする自前の産業も必要です。しかしあくまでも質が問われます。他国を刺激したり、他国に輸出したりすることなく、目的の範囲をよくわきまえた存在でなければなりません。

 戦争と経済の関係は多岐にわたりますから、全容を記すことなどできません。
 両者の関係を簡単に捉えるなら、戦争は経済(と人の生活)を破壊する行為です。それにもかかわらず、経済は時として戦争を求めます。止めるのは、その愚かさを知る人の理性ではないでしょうか。

 ご訪問に感謝します。

 お目め直しに今年のフラワーセンターの写真を
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戦争を待ち望む危険な心理 ②  [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

〈戦争で満たされる欲望〉

 今日はちょっと不快なことを書いてしまいます。通り道なのでお許しくださいますよう

 人は必ずしも平和(=自他の安全)ばかりが好きなわけではありません。すぐに思いつくのは、各地にある危険な祭りです。
 朝日新聞デジタルにこんな記事が出ました。「だんじりで事故相次ぐ 大阪・兵庫で計6人死傷」2016年10月9日21時43分
 また、「2016年5月6日 ... 長野県諏訪市の諏訪大社で行われていた「御柱祭」で5日、境内に立てられた「御柱」 から氏子の男性が転落し ...」などの記事もネットで容易に検索することができます。
 日本だけではありません。スペインの牛追い祭りや闘牛ショーなども、死傷者が出ても、偶発的な不慮の事故と言い得ない、必然性をはらんでいるように思えます。
 死傷者が出ないように万全な安全対策を講じて、祭りを実施しようとしているというよりも、「この祭りに危険はつきものだから、それを承知して自己責任で参加すべし」との暗黙の了解のもと、祭りが行われていると言ってよいでしょう。

 人は生き物、生き物が最大に恐れることは生き物でなくなること、すなわち死です。その死をなぜ恐れず、それに近づいて行くのでしょうか? それは、死を恐がっていては、存分に生きることができないと思う心があるからでしょう。度胸試しです。死と隣り合わせのところを勇んで生きてみたいという冒険心があるのでしょう、人間には。
 命がけの祭礼は、意志ある者が自由に参加するのであれば、問題は少ないでしょう。しかし、戦争となると話は別です。したい者が自己責任で、ねじり鉢巻きをして、鉄砲を担いで戦場に向かうわけではありません。

 人の社会には生贄、人身御供のならわしもあちこちにありました。神への感謝のしるしとして、生きた人間を差し出すのです。自分たちの社会の平和と安全、繁栄のために、仲間を犠牲にするのです。誰かが犠牲にならないと、人間社会の安定は保てないという観念があるのでしょう、あるいはそういう観念の下、儀式を取り仕切る権力・支配の構造が作られ、一部の人間の権力欲・支配欲が満たされてきたのでしょう。

 平和と安全に反する個人的な活動もしばしば見られます。
 2016年7月、相模原市の障害者施設を襲撃し、19名を殺害、26名に重軽傷を負わせる事件が起きました。2008年に起きた秋葉原通り魔事件も記憶に新しいところです。7名の方が尊い命を奪われました。2000年末には世田谷で一家4人が殺害され、未だに犯人は特定されず未解決のままです。
 先日拝見した風船かずらさんのブログには、1971年3月から5月にかけて8人もの女性を殺害した連続暴行殺人事件犯、大久保清のことが書かれていました。
 http://it18skbl.blog.so-net.ne.jp/2016-10-20-1

 このような、大量殺傷事件は残念ながらそれほど稀な出来事ではありません。同じ人間を破壊したくなる心理状態が、いくつかの条件が重なると人の心に発生すると考えざるを得ません。
 このような心理状態がどれほど心に宿っているのか、事件が起こってみないと分からないものです。こうした欲求がもやもやしている人もいるわけですから、「誰だって戦争なんかしたくないんだ、平和がいいに決まっている」という発言は、当てにならない、信用できない、無意味なご口上に過ぎません。

 また、善良な人間は、自由と平等が人類の向かうべき方向と思っていますが、差別と支配を好む心も、人の心には存在します。無意識のうちに、あるいは何かしら理由を付けて、ある人を応援したり便宜を図ったりします。また逆に、別のある人には足を引っ張ったり、意地悪をしたりします。
 また、迷惑にならない限り、他人がどうしようとその人の勝手なのですが、他人の行動を意のままにしたい、支配したいという欲求も、無いとは言い切れません。
 このような欲求があると、戦争というのは、なかなか良い状況ということになります。国中の人を組織化し、命令を下し、それに従わせる大義が生まれます。部下の中に気に入った者がいれば可愛がり、気に入らない者がいれば張り倒すことができます。官憲も、身内をひいきし、生意気と思える人をいじめ殺すこともできてしまいます。
 差別と支配を好む人がいる限り、「誰だって戦争なんかしたくないんだ、平和がいいに決まっている」という発言は、またまた当てにならないということになります。

 本日はこれまでです。次回は〈戦争の経済効果?〉について考えてみます。

 今日は人間の厭な面を書き出してしまいました。気分直しに一枚。昨年撮った写真ですが…
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 ご訪問に感謝します。
 
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戦争を待ち望む危険な心理 [続・友よ、戦争をしない世界を創ろう!]

 今日のタイトルとは何も関係ありませんが、最近の写真を少々。
 先週の日曜日に玄関周りの片づけを少しばかり。
 Before
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 After
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 鉢植えの木の後ろに、勝手に生えてきた欅が枝を茂らせていました。

 火曜日には久しぶりで大船に行きました。まずは早速新江ノ島水族館に。
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 イルカの回転ジャンプがわかりにくいのでトリミングします。
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 よくシラサギやアオサギなどがいる柏尾川ですが、このときは魚のほかは何も見当たりませんでした。
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 さて、本題です。
 生意気なようですが、現政権の掲げる政策・国の舵取りは間違っているように思えて仕方がありません。それをじっくり、スローテンポで明らかにしたいと思います。

《戦争を待ち望む心理》

〈「誰だって戦争はしたくない」は本当か?〉

「誰だって戦争はしたくないんです、平和がいいに決まっているんです」との発言をよく耳にします。上は内閣総理大臣から素人の政治談議まで。
 先日も3日の「アベ政治を許さない」を掲げる運動中、年配男性と意見交換した折に、この説が登場しました。(9月3日のブログに既に掲載しましたので、ご覧になった方は読み飛ばしてください)

「共産党の人?」
「いいえ、普通の市民です」(共産党の人も普通の市民だと思いますが、ここでは手っ取り早くそう答えました)
「あのね、こんなところでこんな運動してもだめだよ。だれだって戦争反対なんだから。そんなことは決まってんの」
「まあ、聞けばみんな戦争反対って言うんでしょうけど・・・」
「だれだってそうよ、戦争したがっている人なんていないんだから」
「でも、戦争をして儲かる人もいますよ、武器を作っている会社もあるんですから」
「あんたね、そんなの微々たるものよ。普通の人はみんな戦争反対なんだから、戦争反対って言っても、なんの意味もないのよ」
「戦争には反対でも、戦争に近付いて行ってしまうということもあると思うんですよ。集団的自衛権を行使して米軍と行動を共にするとか、イスラエルと無人機を共同開発するとかすれば、自ずと敵が増えちゃいますよ。したくない戦争に近付いて行ってしまうんじゃないですか?そう思って、私たちはアベ政治に危機感を抱いているんですよ」
「イスラエルとねぇ、それはそういうところはあるかもしれないけれど、アメリカだってトランプなんて人が大統領になるかもしれないんだよ。なって、日本から米軍を全部引き上げちゃうなんてことになるかもしれないんだよ。そうしたら、中国がすぐに尖閣周辺に出てきちゃうからね。沖縄の人は漁に出られなくなるよ。そういうことが起こったら、だれがどう責任を取るの?」
「そういう心配はありますよね、日中間は国境を確定する必要がありますよね。外交交渉ですよ。米軍が引いたからと言ってすぐに軍事力で中国が領土領海を侵犯してくるとは限らないでしょう。仮にそういう動きが見えてきても、日本には自衛隊があるわけで、無防備のわけではないんですから」
「まあね、とにかく、こんなところで汗水たらして運動していても、何にもならないと思うね。畑でも耕していたほうがよっぽどいいんじゃないの」
「一生懸命畑を耕しているうちに、戦争に巻き込まれてしまう、戦争を始めてしまうってこともあると思うんで、その心配もしてみてくれませんか」

 こんな具合に10分ぐらい立ち話しました。残念ながら話は平行線で終わりました。
 街頭政見談義が円満に終わったところは悪くはないのですが、はっきりした争点がないまま、両論並立で物別れに終わった点は、これでいいんだろうか、我ながら疑問が残りました。
「戦争はしたくないという気持ちは同じだが、状況への備えは必要だ、その対策に違いがあるだけだ」果たして、状況の認識と対策の違いだけなのか、些細な見解の相違なのか?

 どうも、そんな軽微な違いではないような気がしているのです。思想が、歴史認識が、政治哲学が、思い描いている国の在り方が、根本的に違っているように思えるのです。
 その違いが際立たなくなってしまう霞は、霧は、煙幕はなんなのか?
 はたと気がつきました、「誰だって戦争はしたくはないんだ」という命題でした。
 この命題が当てにならないのです。自分が嫌だから誰もが嫌なんだろう、きっと総理もそうなんだろうと思ってしまうのです。
 ですが言えることは「戦争で自分が悲惨な目に遭うことは、たぶん、誰もが嫌なんだろう」ということであって、自分と自分の身内以外の人が殺し合って、死んだり怪我をしたりすることは、必ずしも厭とは限らないのです。
 戦争を望む、期待する心理が、人間には、ある種の人にはあるのです。そこを改めてしっかり見ておく必要があります。

 時間がなくなりましたので今日はこの辺で。次回は〈戦争で満たされる欲望〉を考えてみます。


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ささやかですが国会詣での代わりに [日本考]

 世の中ますますおかしくなってきました。
 DoBitcH さんのブログの貼り付け画像によりますと
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 どれも嘘でも誇張でも、ねつ造でも、プロパガンダでもないんですよね。
 日本は、ここ十年で、本当にすっかりおかしくなりました。

 さて、例の安保法制が国会で成立したこととされた月命日の19日が近付いてきました。このおかしな国の歩みにストップをかけるべく、私がしていることは、3日3日のスタンディングのみです。19日の国会前抗議集会にはなかなか行けません。
 そこで、19日に合わせてハガキが着くように、ジミントウにDMを送りつけようと思っています。先日お仲間のブログで下記のご意見を拝読しました。これをジミントウに投げてやろうと思います。
「 日本国憲法は、これを遵守しなければ
 ならない者を天皇や大臣、議員、公務員
 としました。要するに社会的に責任のあ
 る立場の人はこの法を守る義務がある、
 としました。特権には責任があるのです。
 ところが、特権階級のジミントウは、
 それがどうにも気に入らないらしく、「権
 利には義務が伴う」と、特別な権力も持
 たない国民にたくさんの義務を押しつけ
 ようとしています。それは高貴な生き方
 だと言えるでしょうか?
 国家の指導者と国民は主従関係ではあ
 りません。国民は主権者として議員に権
 利を委託しているだけです。でも、権利
 を行使する立場に立てば、誰でもどんな
 人でも、特権を持てるのですから同時に
 その重い責任を自覚せねばなりません。
 一国民 」


 こんなハガキが一通届いたところで痛くも痒くもないでしょうが、何千、何万、何十万と届いたら少しは自分たちの異常さに思いを致すのではないかと思うのです。いかがでしょうか?
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 本日はこれにて。ご訪問に感謝します。





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近況報告とちょっと大事なこと [たまには photo news]

 一週間ぶりのお孫ちゃんプレ保育の日。9時半に送って帰ってきて、ゆうべ入り損なったのでたまには朝風呂。それから、ちょっと順番を間違えたけど、庭の草むしり。というのは、先日もらってきたイチジクの木を植えておかなければ・・・
 Before マンションの日陰でも雑草は生えるもんです
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 After フェンスに絡んだ蔦草も取りました。
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 イチジクを植えました、西日が当たるところなので。でも今の季節では根付かないかも・・・
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 そんな用を済ませて、今ブログに取り組んでいます。

 一昨日の金曜日、暖かな日に、子守りがてら加須の田舎でのんびり暮らしている友人を訪ねました。
 こんな家を建てて住んでいます。
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 木造。梁も柱も剥き出しです。木の香が漂います。
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 床の間には木魚もありました。
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 孫は畑で、茄子とピーマン、少し残った枝豆を採らせてもらいました。
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 私は、ラグビーボールより少し小さいくらいの冬瓜を二つもらいました。これが目的でした。最近急にペースメーカーを入れることになった友人が好物とのことで。写真、撮り損ないました。

 コスモスが似合います。
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 いちじくの葉に蝶がいましたが、ピントが合ってくれませんでした。
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 小ガエルも二匹、ちょこんと座っていました。こちらもピントが合ってくれませんでした。
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 こちらで、脇から生え出ていた若木をもらってきました。

 一昨日は長閑な日でした。

 昨夜、majyo さんのブログでDT(デンツー)の戦略十訓なるものを見ました。
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 http://majyo1948.blog.so-net.ne.jp/2016-10-13-1 より拝借

 majyo さんはこれに、命を護る愛の言葉を書いておられました。momotaro が勝手に七訓にまとめました。
① 社訓に惑わされないように ② 神経を太く持つように ③ 死んだら生まれ変われません ④ 逃げましょう! ⑤ 他にも道はいくつもあります ⑥ 神経がズタズタにならないうちに見切りをつけましょう ⑦ 生きている事、それが大切です
 今朝、てるりんさんのブログを見ていたら、8日の記事で同じ問題を取り上げていました。
 http://terurin-sakisina.blog.so-net.ne.jp/2016-10-08
 てるりんさんの愛の言葉は
① ばてたら死ぬ前に休もう ② もっと面白いことを見つけてから死んでも遅くない ③ もう一日、明日まで生きてみよう
 これで10、DTに対抗して十訓となりました。

 本日はこれまで。ご訪問に感謝します。 



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久しぶりの三連休 [たまには photo news]

 10月8、9、10と世間は3連休でした。世間の休みと私の休みはほとんど連動することはなく、むしろ逆行することが多いのですが、こと孫守りとなると、これが連動するのでした。孫の親が休みになるので、お陰で孫守りが休みになります。バイトはあるのですが、それを除けばやりたい放題です。
 で今回は、2日続けてブログを更新しました。こうなれば、3日続けて更新しようじゃないかと、今パソコンに向かっています。
 連休3日目の今日は、少しは家の周りを片づけなければ…と思い、隣地にはみ出している雑草木を取り払うことにしました。午前中のことです。
 Before です。ボロ屋が建っています。五十数年前に、親父が子ども部屋として建てたもので、高校時代はここで寝起きしていました。今は身障者となった弟が住んでいます。そんなことはどうでもよいことでした。
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 問題は雑草木です。6月ごろ一度きれいにしているのですが、夏を越せばまた生えます。手前からドクダミ、それから長い穂を広げ、種が服に着く嫌な草、つるを絡ませてやたら遠くまで勢力を張っている蔓草、木は成長の速い欅、丈夫な樫の木、モチの木、青木や琵琶の木も、鳥が種を運ぶのでしょうか、油断しているとすぐに生えてきて枝を伸ばします。
 それらを剪定ばさみや鋸で切って、束ねたりビニール袋に入れたりして取り払いました。
 虫がたくさん生息していました。アメリカシロヒトリは見栄えが良くないので撮りませんでしたが、他のはいくつか撮りました。何の幼虫かは、ひとつとして知りません。ご存知でしたら教えてください。
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 それからこれはバッタなのでしょうが、ちょっと見慣れない形に見えました。
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 After です。
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 そうそうこのブログのタイトルは「日本の政治と地球の未来」でした。
 政治と言えば、今の日本の政治はとんでもなくおかしいです。だいたい最も憲法を尊重して守らなければいけない内閣総理大臣が憲法が気に入らなくて変えたくてしようがないのですからおかしいはずです。
 どのように変えたいかと言えば、国民が主権者で、国民の平和な生活や人としての権利を、国は守れという国民と国との関係を、国家があっての国民なんだから、その国の決定や秩序を国民が尊重し、個人の権利を主張するよりも国のために義務を果たせ、という関係に変えたいわけです。
 国がこういうふうに変わると、地球に未来はありません。なぜなら、「人類はみな兄弟」こういう気持ちは共有しやすいけれど、「国と国とはみな兄弟」とは思いにくいからです。国と国とはそれぞれに国益を追求し、衝突し、武力行使すなわち戦争、殺し合いを行うものです。国家国家とわめいているのも、日本が世界一だと思いたい、日本を世界一にしたいからです。こういうのは選民思想、差別の発想です。
 世界一を競うのは、スポーツその他、限られた観点においてのみです。世界一よい国は他国と競ったりしません。国民が持っている人間性を存分に発揮している国です。間違っても、ひとつの思想で凝り固まっている国ではありません。
 バカげた政治を終わらせることについては、また時間のあるときに考えることにしましょう。

 3日連続、できたぞ。さて今度はいつ書けるか・・・?
 ご訪問に感謝します。

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森林公園と稲刈り体験記 [たまには photo news]

 10月6日台風の通過で暑くなった日、行ってきました武蔵丘陵森林公園。
 いつもは近いので西口から入るのですが、友だちの助言に従い中央口まで回りました。中央口の近くには民間の格安駐車場があるのだそうで…、なるほど入口のすぐ先に300円の看板が。その少し先には200円の看板が。まだ先には100円があるのだそうですが、孫連れなので200円にとめました。
 入場料はシニアは210円×2、孫はただ。計620円は正規の駐車場の料金と同じでした。すいません、せこい話で。国民年金生活なので、節約できるところはしておかないと・・・

 さすが森林公園です。
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 トンボを捉えることができました。種類まではわかりません。
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 フォトグラファーが何やら狙っています。
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 真似して撮ってみました。蕎麦の花でした。
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 ぽんぽこマウンテン
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 このエアートランポリンは日本一大きいのだそうです。
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 休日は混み合うそうですが、平日だったので、ジイジと孫でほぼ貸し切り状態。同じくらいの子が来ると追いかけ回して弾んでいました。


 次は一昨日の金曜日のこと、孫がプレ保育とやらで時間ができるので、これは日ごろ憧れている畑仕事をやる絶好のチャンスと気がつき、前日にお友達の鰹さんに電話を入れました。ダメモトで都合を伺ったところ、「明日は稲刈りの予定」とのこと。かねてから連絡することになっていたので、さきたま新聞のにじさんにもご連絡。するとこちらもOKとのこと。
 10時の予定が15分ぐらい遅れて現場に到着。
「いやー、申し訳ない、10時だからお茶にしましょう」
「そうお?」と岡の鰹さん大型の農業機械から降りてきました。
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 まさか、これを運転することになろうとは思いませんでした。
 ジュースを飲んでいると、鰹さんのお友達が藁をもらいにやってきて、茶飲み話が弾みました。
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 12時ごろには引き上げなければならないので、「さて仕事」とけしかけると、これを運転してみたらと・・・
 半信半疑で運転台に座ると、「これがアクセル、前に進む時はこれ、止まるときはこれを戻す、バックはこうする。左右に曲げる時はこれをこうするんね。ね、できるでしょう?」って、脇に乗っていてくれたのはほんの3メートルほどで降りていってしまった。
 あれれって驚いたものの、ほかに仕事はなさそうだから、やってみるか~

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 膝を閉じているのは、写真を撮るために外した手袋を挟んでいるため、念のため
 これがbefore 
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 少しずつ調子がわかってきました。
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 これ、コンバインと言うそうです。爪の間で稲を刈るので、右の爪が刈り取る稲の右に来るようにコンバインの進行方向を調整します。右手のレバーを右に寄せると右に、左に寄せると左に進みます。手前に引くと爪自体が上がり、向こうに押すと爪が下がります。刈り取る高さがこれで決まるようです。
 左手のレバーは前に倒すとスピードが出ます。
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 途中で、ぴーぴー警報が鳴りました。師匠がやってきて、モミがいっぱいになったので、あそこのコンテナーに排出するとのこと。席を替わろうとしたら、それもできるからやってみろと。
 言われた通りバックで道路の軽トラに近づけると、乗り込んできて、これを押すとダクトが回転する、これを押すと下がる、もう少しコンバインを動かして・・・これで排出を始める、てな具合。
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 いよいよ、最後の一列に
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 最後に独りでコンテナーに排出しておしまい。1時間強、緊張のためか手足が疲れました。
 で、これがafter
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 コンテナーの中は
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 今年は出来栄えが良いとのこと。日照が少なくても結果は悪くなかったようです、当地は。

 いやぁ、びっくりしました。この機械を使って稲の刈り取り作業をすることがあろうとは・・・いかに広い田んぼで他にぶつかるものがなく、スピードも出ないとは言え、大事な機械を初めての人に使わせて、大事な稲の刈り取り作業を任せるなんてことは、なかなかできることではないでしょう。momotaro の図々しさもさることながら、鰹さんの懐の大きさには改めて驚きました。
 それから、この機械の仕事ぶりにも驚きました。一度に4列ぐらいの稲をきれいに刈り取り、そのまま脱穀して、藁の部分は裁断して田んぼに撒いてしまうのです。そしてモミは集めておいていっぱいになると知らせ、吐き出す装置が付いていて、見事にすっかりコンテナーに移してしまうのです。手作業で刈り取り運んでいって脱穀し・・・と比べると、何倍も何十倍も速くて楽でしょう。
 これだけ合理化されていれば、日本のコメ作りも外国に負けないぞと、ふと思ったのですが、しかし聞くところによると、このコンバインとやらは4~5百万、軽トラに積めるコンテナーは数十万するそうで、10年ぐらい使っているけれど元は取れないとのこと。
 この装置は、麦刈りのときにも使えるそうですが、それにしても年に二回の出動であとは納屋でお休みになっている訳ですから、確かに元さえ取れないのかもしれません。近所の人たちと共有すれば・・・とも思いますが、使う時期が一緒なのでそれも難しいとのことです。

 さて田んぼのほうはこのあと耕したり施肥をしたり、もう一度耕したりして、11月中ごろには小麦を撒くそうです。
 そうそう、刈り取りながら最近久しく見ていない雨蛙を何匹も見かけたので、5~6匹ビニル袋に入れてもらってきました。庭に放して棲息させようと思って。

 以上で、知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない平成の稲刈り事情のレポートを終わります。鰹さん、ご指導ありがとうございました。にじさん、ご声援ありがとうございました。

 今宵はこれにて。ご訪問に感謝します。 
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治安維持法について『九十歳のつぶやき』に耳を傾ける [日本考]

 先日、平和のための埼玉北部戦争展で、高校生たちがアニメ映像劇を演じていました。その主要なモチーフの一つに『九十歳のつぶやき』(大野英子著、駒草出版)がありました。そこで著者の兄が治安維持法の犠牲になったこと、その遺書を発見し、それが著者の頭に刷り込まれたことなどが語られました。
 罪なき人の命がどのような経過で奪われたのか、事実関係が良くわかりませんでしたので、同書を入手し目を通しました。

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 まずは本書の全体像を簡単にご紹介します。ブックカバーには
《 人間をいとおしむ優しいまなざしと、
  ときにするどく真実を突く、短歌と物語。
  児童詩教育に人生をささげてきた著者の
  九十年の歴史の証言。 》 とあります。

 ご自身の書き出しは
《 九十年かけて、ようやく九十歳になりました。
  今は心優しい野草の好きな姪に労られ、お世話になって気ままな一人暮らしをしています。
 (中略)
 「長寿の秘訣は」
  と、問われると、そんなの簡単。
 「死なないことですよ」
  ・・・     》 と書かれています。ユーモアを交えて綴られた、挿絵満載の自分史でしょうか。

 目次から、章のタイトルをご紹介します。
第一章 昔々父ちゃんは頭の鈍い末っ子と遊んでくれた
第二章 花いちもんめ
第三章 吾が郷いとし
第四章 敗戦の日
第五章 秩父困民党
第六章 時代の化け物「治安維持法」

 わが関心事は第六章にありました。
 《兄ちゃんのこと》P175~より、出来事を書きとめます。
① 昭和10年9月16日、兄が突然姿を消す。待っている家に6人の兵隊が家宅捜索に来る。
② 兄のいない家を引き払い、父の住む山寺に帰る。
③ 兄が送った荷物が山寺に届く。すると父はすべてを焼き払い土深く埋めて草で覆う。
④ 昭和12年のある日、死体発見の知らせが届く。父が探しに行き二つの頭蓋骨とまっすぐな三本の骨を持ちかえる。
⑤ 新聞は「目も当てられず腐乱した抱き合い心中死体発見、この非常時に何たる非国民」と書きたてる。
⑥ もう一つの頭蓋骨の主は同じ結社の娘さんとわかり、父が山寺の墓地に埋める。
⑦ 「非国民の一家」といじめられて、学校でも、職場でも何も言えなかった。
⑧ 昭和55年、詩人の竹内てるよさんと会い、「あなたのお兄さんは心中などでは有りません」との話を聞く。竹内さんが主宰をしていた詩を発表し合う結社『新世紀』が治安維持法に狙われ、捕えられ拷問のすえ殺されるよりはと集団自殺をしたとのこと。
⑨ 竹内さんの助言により家中探したところ、一冊の同人誌に挿まれた遺書を見つける。そこには
「生まれてくる
  こんな重大なことなのに
  一言の相談も有りませんでした。
  死ぬ時も
  黙って一人で逝きます。
  やりたい事が沢山有るけれど
  全部止めにします」 と書かれていた。

 著者は兄のことを次のようにまとめています。
《底辺に生きる者の視線の先に見えたもの、それは敗戦国日本の姿だったのでしょう。
 (中略)
 私の兄ちゃんは、
 革命家でも思想家でも、指導者でもありません。ただの貧しい労働者でした。》 

 著者の兄さまについて私が本書から知り得たことは以上です。

 治安維持法は戦後廃止されたものの、悪法によって犠牲になった人々への償いはまだなされていないと聞いています。しっかり反省、謝罪、償いをしておかないと、同じことがまた繰り返される恐れがあります。
 こんな理不尽なことはあってはなりません。再確認しましょう!

 本日は以上です。ご訪問に感謝します。


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週刊 DoBitcH レポート と 3日のスタンディング など      [たまには photo news]

 例によって、まずは『DoBitcHの立ち立ち日誌-41 』より、週刊 DoBitcH レポートをお届けします。メルマガ?『DoBitcHの立ち立ち日誌 』は、10月1日夜には送られてきていましたが、掲載する時間がなかなか取れず遅くなってしまいました。
 さて、その『週刊 DoBitcH レポート』ですが、掲載が遅れがちであることと、DoBitcH さん自身がブログに書いていることもあり、このレポートは、今回を最後にさせてもらおうと思います。
 それでは元気に行ってみます。というか、DoBitcH さん、よろしくお願い致します。

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9.25.Sun.
体力温存為,ゴミ拾い不審者に変身せず自宅待機
11:29 駅立ち開始 11:52 終了
12:12 再開 12:30 終了
19:13 駅立ち開始 19:28 終了

9.26.Mon.
8:04 ゴミ番犬&朝立ち出発 9:01 帰還
11:28 駅立ち開始 11:58 終了
12:20 再開 12:41 終了

9.27.Tue.
退院後の初診察日
今日は2度の退院事件よりも数段嬉しい.5日の手術時にリンパに転移しているか?組織を採取して,その結果が今日出る事になっていたからだ.
結果は転移無し.晴れて肉体的にも精神的にも開放された
退院してもリンパに転移していたら?今後どう言う展開が有るのかの想像も出来ず,不安がずーっと有ったからねー
今回だけは1か月後に又診察があるけど,その後は半年に1度の検診で良くなる
今日はしばし生き延びる事が確定した記念日となった,目出度し!目出度し!
13:06 駅立ち開始 13:31 終了
16:10 駅立ち開始 16:47 終了
17:20 再開 18:18 終了

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9.28.Wed.
8:04 ゴミ番犬&朝立ち出発 8:55 帰還
14:13 駅立ち開始 14:35 終了
16:59 駅立ち開始 17:52 終了

9.29.Thu.
8:04 ゴミ番犬&朝立ち出発 9:05 帰還
11:28 駅立ち開始 11:59 終了
12:20 再開 12:54 終了

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9.30.Fri.
8:05 ゴミ番犬&朝立ち出発 9:03 帰還
11:31 駅立ち開始 11:54 終了
12:12 再開 12:47 終了
16:41 駅立ち開始 17:05 終了
17:31 再開 18:47 終了

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10.1.Sat.
8:04 ゴミ番犬じゃない朝立ち出発 8:48 帰還
11:15 駅立ち開始 11:47 終了
18:37 駅立ち開始 18:58 終了

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 以上、DoBitcH さんの孤軍奮闘ぶりをお伝えして参りました。これからは、興味のある方は「DoBitcHの立ち立ち日誌」の元ブログ
 http://blogs.yahoo.co.jp/no_war524no_nukes にアクセスして下さい。

  さて次は一昨日の3日、例の「アベ政治を許さない」(全国のあべせいじさん、ご免なさい<(_ _)>)掲げる日です。
 小雨でしたがそんなことにめげてはいられません(大雨、強風だったらめげちゃいますが)、1時に間に合うように駅前に。
 途中、差し入れドリンクの購入は傘差しての歩きだったので断念。
 空襲を忘れない市民の会のSさんが、青い旗を掲げ、既に立っておられました。向こうのバス停ベンチにはドビッチさんの姿も。写真を撮りそこないましたが、例によって前と後ろにプラカを提げて「術後は自重して座っていることが多い」とのこと、安心しました。
 間もなくリーダー格のHさんがハンドマイクを持って到着。通行人に呼びかけながらのスタンディングが始まりました。(左から2番目の方)
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 写真に写っていない人が私を含めて4人。計8人でしたので参加者の数は残念、減りましたが、雨天でしたし、平日の昼間ですから、来られる人にも限りがあるでしょう。気を取り直して、最近毎回配っている、例の、3日のスタンディングを呼び掛けるビラを配り始めました。
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 すると、前回よりも、明らかに、受け取ってくれる人の割合が増えている印象を受けました。よくコメントを入れてくれるにじさんと、男の方も一人ビラ配りを手伝ってくれて、20分ほどで、用意した50枚を配り終えました。
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 配り終えたにじさん、ハンドマイクを持って道行く人に優しく語りかけていました。

 さて、おまけの写真です。先日西の空がこんなでした。これも天使の梯子(薄明光線)でしょうか?雲自体が放射線状にも見えますが・・・
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 今年やっと写せた彼岸花
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 ご訪問に感謝します。
 

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コメント欄より [日本考]

 昨日は(これ、1日に書き始めました)一日独りで見てました、孫娘を。親は仕事、ツレは付き合いとか、みんなお出掛けで。そんな日が時々あります。
 もうじき3歳、可愛い盛りですから、子守三昧で何の不服もありませんが、子育てって難しいんですよね。可愛がって育てていれば良い子に育つとは限らない。甘きゃいいってものじゃない。
 そんな頭はなくはないんですが、それでも独りの時は厄介だからつい甘くしてしまう。
 それから子守っていうのは、最中に他のことが考えられない。買い物に行ったり銀行に行ったり、決まったことはなんとか連れ回してしちゃうけれど、考えごとができない。車の運転中も、バックミラーを斜めにして、後部座席を時々ウォッチしないと・・・
 考えごとは枕の上でやればいいんだけれど、考えたところで書いている間がないと思うと、本質に迫るようなじっくり思考はやる気にならない。
 そんなわけで、最近頭はスッカラッポ。時々使うのは、みなさまのブログ訪問(と言っても思うように訪問もできていませんが)で刺激を受けた時ぐらいです。
 そこでネタ不足、コメント欄に投稿したものを幾つか再利用させていただきます。

 まずは BrerRabbit さんの
 http://brer.blog.so-net.ne.jp/2016-09-21
 この記事で、BrerRabbit さんは『この国の冷たさの正体』(和田秀樹著)より
「自分がイジメられる対象にならぬよう
 強者の意見を代弁し弱者叩きをする弱者
 弱者が攻撃されているのを見て見ぬふりをする傍観者
 その仲立ちをしているのがテレビ

 介護貧乏に陥った人を見て 
 私はあのようになりたくない
 とか
 関わりたくない 
 という感情をふくらませる
 その増幅装置になっているのがテレビ」
と引用し、ご自身のテレビ批判を次のように展開しています。

「テレビを壊せば済むわけではない
 テレビは単なる道具
 その番組を作る側の問題である
 現在のように
 批判しないどころか
 政権におもねる番組づくり
 問題をすり替える番組づくり
 問題提起しない番組づくり
 強者がつくるカネのご機嫌を損ねない利権のための番組づくりは
 弱者同士の分断を加速させ
 強者に向けられるべき怒りの緩衝剤とさせる
 こんなところだけは
 歴史から学ぶ賤しき国家」

 これを読んで、たまにチラ見するテレビ番組に首をかしげることが多い筆者は思いました。そしてコメントしました。

「いま日本は、自由と平等を志向する理性と、差別と支配を画策する邪欲との攻防戦の真っ最中、正念場です。このことを伝え、ともに真剣に考えようとしないメディアは、おっしゃるとおり、巧妙な邪欲への重大加担です。」(一部修正しました)

 近代市民社会は、自由と平等を旗印に政治が営まれてきました。自由と平等は必ずしも併存するものではなく、自由を重視すれば平等が損なわれ、平等を重視すれば自由が損なわれる面もあり、バランスを取りながら両者がより高い次元で実現する社会を目指して営まれています。政治家の使命は、政治の役割はそこにあるのです。それが近代社会の理性です。それ故、自由民主党とか公明党とかと名乗っている訳です。
 ところが、そんな名を冠する政党が、国民に内緒で、決定過程も明かさないという秘密主義を合法化し、近代法治国家の核心である国の憲法に違反する法制を議決し、挙げ句は国民の基本的人権を国家主義の前に制限するという憲法の制定を目指しています。
 ふと思いました。これは最早、自由と平等に真っ向敵対する意図を持った政治家集団ではないだろうか。国民の自由が厭なのだ、不自由にしてやりたい、ということは支配したいということです。また、人々の平等も厭なのでしょう。もっと人の上に人を作り、人の下に人を作りたい、つまり、もっともっと差別したいのでしょう。
 支配と差別の欲求はどこから生まれるのでしょうか?これは、社会に善かれという理性から生まれるものではありません。自分によかれの我欲に過ぎません。他人を、周囲を犠牲にして自分たちだけが満足しようとする、程度の低い利己主義です。
 戦争中は、権力のあるものと権力のないものとの境遇の差が大きく現れます。忌むべきことですが、これを好む輩がいるのです。彼らの我欲に国の組織を任せてはいけません。政治を後退させるだけです。支配と差別の暗黒社会を現出させるだけです。
 今、その攻防戦が行われている最中です。この社会内部の抗争、軋轢を真剣に伝えることなく、上っ面の笑いと好奇心充足で視聴率ばかりを追っていて、果たして報道の使命が果たせるものかどうか、よくよく考えてもらいたいものです。報道も支配され、差別され、大本営発表を伝えるだけになっていくのです。
 わが国の総理が隣国の独裁者に似てきましたが、各局のアナウンサーもそのうちに、隣国の威勢のよいおばさんに似てきてしまうのです。


 次は majyo さんのブログ
 http://majyo1948.blog.so-net.ne.jp/2016-09-26-1 
 「久しぶりの暑い日曜日」ということで majyo さんがいろいろなことを伝えてくれました。それを読んでいたら、川柳が浮かんできました。


日曜日 愛と平和の マジョ出陣

悪政に プラカベタベタ 壮観じゃ

ヘイトデモ 取り締まらずに 護るとは?

折り紙の 見事なピエロに 母なみだ

放射能 除染はやめて 馴れろとは?

豊洲移転 臭いぞ築地で えぇじゃないか


 最後に昨日筆者がいただいたコメントについてです。
 Kazg さんから次のコメントをいただきました。
【「私はあんちゃんの遺書そのもの」とおっしゃる大野英子さんのお話、痛切で重いですね。その遺書の片鱗なりとも、私たちも頭に擦り込み、次代に伝えることが大切なのでしょうね。】

 今朝私は次のリコメを書きました。
【おっしゃるとおりです。
治安維持法がいかに悪法だったかということと、それを無批判に取り締まりの具として同朋を傷め苦しめた多くの官憲の存在、罪深さを糾弾し続けなければなりません。
改めてそう思いました。】

 書いたとおりなのですが、法が悪かったと思いがちですが、悪い法を支配や差別の具にしてしまう日本人がたくさんいた、そして今もいる訳です。そのことにはっと気付きました。
 時代に流されて悪事を働いてはいけません。

 これは今日の写真、中学校の同級会がありました。箸を付けた後慌てて撮りました。
IMG_3569.jpg

 二次会
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 拙著『友よ、戦争をしない世界を創ろう!』 と三日に配っているビラを差し上げました。演説は控えました。控え目にしました。

 以上です。ご訪問に感謝します。
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